Saturday, April 28, 2012

自主ゼミ #2012-1


  • 文献:野口旭 [2007]: 『グローバル経済を学ぶ』筑摩書房(ちくま新書 657).



Saturday, April 21, 2012

政治と理論研究会 第1回例会


要領



  • 日時:4月21日(土)17:00開始

  • 会場:法政大学大学院棟

  • 報告者:松尾隆佑 (法政大学 博士後期課程)

  • 報告題名:「政治/理論――政治的なものについて語ること」

  • 報告次第:
    • はじめに

    • 1. 政治理論への疑い――棟梁失脚後の政治学の中で

    • 2. 政治的なものの所在――政治の社会化と社会の政治化

    • 3. 政治の理論化――ヴィジョンとしての政治理論

    • おわりに
  • 報告要旨:

政治学はしばしば,独立したディシプリンとして固有のアプローチを持たないと評されてきた.本来であればディシプリンの存在証明を果たす原論的地位を占めるべき「政治理論」は,専門分化が進む政治学の中で,規範的な「政治哲学」と互換可能なサブ・ディシプリンとしての役割に落ち着いている(「現代」政治理論).

政治学が自己完結性を欠くことは,社会の象徴的統合・正統性具備を担う「政治(的なるもの)」が持つ「作為」としての性格に由来するものであり,政治(学)が社会に対する一種「棟梁的な」仕方は,この宿命的な性格と引き換えに認められてきた.だが,川崎修がクリアに示したように,そうした政治(学)像はミクロからマクロまでの政治を貫く単一の原理・構造が存在するとの幻想に基づくものであり,その陰にあって様々な生活の局面で生起する小さな〈政治〉が政治学の外に置き去りにされてきた事実は,先の性格規定を毀損するに十分である.

社会の中に横溢する政治(的なるもの)を社会学その他が扱うに任せてきた現代の政治学は,専門分化の昂進により,社会のサブシステムとしての政治システム(マクロな政治)に特化して自己完結性を強める方向への歩みを速めているように見える.それは大嶽秀夫が危惧したところの「トピック主義」の追認であるが,これに際して政治学に反省を迫るべき政治理論は存在が疑われている.

すなわち,「政治的なるもの」について語る一般理論など,そもそも存在しうるのか.本報告では「ビジョン構想」(松下圭一)としての政治理論観を手掛かりにしながら,棟梁的に社会の全体性を見渡す仕方ではない政治理論の可能性を問う.


記録



  • 参加者:4名

  • 次回予定:5月26日

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