Sunday, March 15, 2009

刑法39条について


もう2年半も前のことになるようだが、過去に「刑法39条を擁護してみる」というエントリで、触法精神障害者に対する刑罰の減免を定めた刑法39条への批判論をやや詳細に検討したことがあった。そこでの私の結論は、保安処分的拘束の問題性を避けるためには、あるいは同条を削除して精神障害を情状の一種として扱った方が良いのかもしれない、というものだった。今の私は当時よりさらに削除を容認する方向に寄っている気がするけれども、別に法改正まで踏み込むことはないかもしれない。芹沢一也さんの新刊『暴走するセキュリティ』(洋泉社(新書y)、2009年)には、精神科医の井原裕による極めて理にかなった提言が紹介されている(76-77頁)。



精神障害者に人権を認めるのであれば、当然責任も課していかなければならない。人権も認め、かつ、39条によって刑事責任免責の特権をも付与されるとなれば、国民の誰一人として納得しないだろう。今後、精神障害者の人権の尊重とともに、刑法39条は、その対象を狭めていくべきである。「精神障害」と呼ばれる人々のなかで、刑事責任を負えないほどに是非弁別の認知能力が低下している人は、一部にすぎない。大部分の障害者は、「二級市民」扱いされるべきではなく、刑法39条の埒外にある。しかし、だからといって、筆者は、単に厳罰化傾向を強めよというつもりはない。不幸にして認知機能の低下が著しく、是非の弁識が不能となってしまった障害者もいる。こういうごく一部の精神障害者に対しては、正しく刑法39条を適用しなければならない。〔井原裕「精神鑑定における精神科医」九七頁、『司法精神医学』三巻一号、日本司法精神医学会、〇八年三月〕



 このように主張する精神科医の井原は、さまざまな問題の根源となっている刑法三九条の適用に、厳しい謙抑を求める。代わりに、状況の検討や心理の道筋の解明など、鑑定人の作業の力点を、責任から情状に移すべきだと訴えるのだ。つまり、精神の障害を「二級市民」化の根拠にするのではなく、情状を考慮するさいに検討される、数多の要素のひとつにしようということだ。

 日本の刑事制度の現状にあって、筆者はこの提言がもっとも現実的に思われる。



芹沢さんのブログには、井原論文のサマリーが引用されている。せっかくなので、そこからも転載させて頂こう。


刑法39条は、乱用されがちである。被疑者・被告人のなかには、病気を演じる人もいる。弁護人によっては鑑定を「法廷戦略」ととらえている。鑑定人はしばしば責任と情状の区別がつかない。裁判官は、責任能力を、力と力の対決の渦中で判断することを余儀なくされている。現状の打開のために、鑑定人に可能な提案を2点。①39条適用(参考意見)において謙抑的に、②情状検討において積極的に、である。①39条適用には「謙抑性」が必要である。39条を適用すると、被告人に残存する人格性は否定され、通常の酌量減軽の埒外に置かれる。39条は「二級市民特別枠」にすぎず、安易な適用は「被告人の利益」にならない。②情状は、従来も鑑定において論じられていたが、しばしばそれが責任能力論に混入していた。ここに精神科医側の混乱、とりわけ「心神耗弱」乱用の元凶があった。今後は、参考意見の力点を、意識的に責任から情状に移すべきであると思われる。


なお、『暴走するセキュリティ』は、『論座』連載をまとめたものに萱野稔人との対談を収録して構成されている。また同著者については、藤井誠二『重罰化は悪いことなのか――罪と罰をめぐる対話』(双風舎、2008年)に収録されている藤井との対談も参照の価値が有る。

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