Tuesday, September 18, 2012

リーダーは個人的属性で選ぶべき?


河野勝先生がブログに「政治リーダーシップ論」と題する記事を書いており,あるべきリーダーシップ論について,四点に分けて論じています.興味深い内容なので,読みながら感じた疑問を幾つか書き留めておきたいと思います.

一点目(ろくなリーダーシップ論がない)はスキップしてまず二点目からになりますが,

リーダーを語るからには、そのリーダーの個人的属性について語るべきなのであり、たとえば理念とか政策とかを持ち出すのはおかしい。理念や政策は、そのリーダーが属している政党や団体の属性である。だから、「リーダーを選ぶ基準として理念や政策を大事にする」というのは、(独裁者を好むのであれば別だが)ボクは理解できない。

というくだりが,私には理解できません.

理念や政策が,「そのリーダーが属している政党や団体の属性である」べきだから,リーダー候補の「理念とか政策とかを持ち出すのはおかしい」と言うなら解ります.だが,現実にはリーダー個人に属している範囲の理念や政策が政党や団体のそれらに大きな影響を及ぼすことが多いのですから(e. g. 小泉純一郎と郵政民営化), 「リーダーを選ぶ基準として理念や政策を大事にする」 のは当然ではないでしょうか.

また,学術的なリーダーシップ論としては,特定の理念や政策とのかかわり抜きにリーダーを評価しうる基準を提示すべきだという論なら理解できますし私もそう思いますが,ここで河野先生が述べているのはそういう趣旨ではないでしょう.その種の話に近いのは,引用した箇所の次(三点目)に出てくる「集められる限りの情報を集めさえすれば、その中から自ずと答えが出てくるような」ものではない決定を行える能力こそリーダーに求められる,という主張の方だと思われます.

これは支持不支持は別にして理解できる立場ですし,2008年頃から言われている「決められない政治」批判とも結び付けやすいものです.政治的な決断と責任を委ねうる主体としてのリーダー像,ということになるかと思います.私は「決められない政治」批判に与したくはありませんし,例えば野田首相が原発再稼働のような決断の責任を「とる」ことができないのは明らかですが,そういった責任を「帰する」ことができる制度的仮構としての主体(象徴?)が必要なのは理解できます.

最後に述べられている四点目の主張には,私は明確に反対です.リーダーは自らのプライベートな情報も開示すべきであるという点については,その必要はないと思います(自ら進んで開示する自由は尊重します).リーダー選出にあたっては私生活についての情報も評価の対象にするべきだという主張については,そういった側面を評価対象にしたい人が勝手にすればいいと考えます.有力政党のリーダー候補になるほどの有名人なら少量でも何らかの情報はこぼれてくるでしょうし,その種の情報は知りたい人が勝手に調べればいいのです(「二流週刊誌」が既にこの需要に応えているなら,わざわざその役割を「主流のメディア」に移すべき理由は乏しいように思われます).

リーダー候補の個人的属性が重要であるとしても,個人的属性のすべてが重要であるわけがなく(概して言えば,「食事の好み」が取り上げるに値する情報とは思えません),では個人的な属性のなかで何が重要なのかは明らかとは言えません.個人的属性を考慮すべきだから私生活についての情報を報道すべきだと言うのは飛躍ですし,あらゆる属性が多少なりとも考慮に値しうるとすれば,例えば外見的特徴の扱いが問題にならざるをえません(別に扱っていけないとは断言しませんが,疑問は覚えます).

以上,私の疑問をまとめると,「リーダーを選ぶ」ことが「個人的な属性を選ぶこと」であるとしても,何が考慮すべき属性であるのかが直ちに定まるわけではなく,また,リーダー個人の属性は彼が指揮する集団の属性に影響を与えうる(場合によっては,集団の属性から影響を及ぼされうる)のだから,個人にのみ属する性質をだけ考慮すべき理由は存在しない,ということになるでしょうか.個人的な資質も当然重要ですが,独裁者を好むのでないのであれば,理念や政策も同等かそれ以上に考慮すべきです.

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