Sunday, December 21, 2008

かかわりあいの政治学4――連接の長さと権利的優位


(承前)


ある晴れた日のこと。私は真っ直ぐな歩道を歩いている。すると、100メートルほど前の横路から出てきた中年女性が、同じ歩道を、こちらに向かって歩いて来る。私も彼女も歩道の建物側を歩いており、徐々に近づいている。私はこの道に入ってからずっと建物側を歩いてきたし、彼女もそれを見ているはずだから、そのうち避けてくれるだろう。普通そういうものだし、そうでなければおかしい。

だが、彼女は建物側を歩き続け、一向に車道側にずれる気配を見せない。決して私の存在に気づいていないわけではない。その内に、彼女との距離は10メートルを切った。私は違和感を覚える――場合によってはやや不快感をさえ覚えるかもしれない――けれども、そこは大人である。意地を張っても仕方が無いので、自分が車道側にずれて衝突を回避する。擦れ違う際の気配からして彼女には意に介した風も無い。私としては、まぁそんなものかと歩を進めるしかない。


さて、このような感覚をどれだけ一般化できるのかは分からない。しかし、私は問うてみたい。この時に私が抱いた「そうでなければおかしい」という感じは、どこから来たのだろうか。私はずっと建物側を歩いてきたのだから、「建物側を歩くこと」については私の方が優先されるだろうし、されるべきだという、この「感じ」。これは、どこから生まれたのか。

ずっと同じ道の同じ片側を歩いてきたという事実、つまり時間が重要なのだろうか。しかし、なにゆえに。ある対象を巡るイシューにおいて、当該対象とより長い時間の接触を持った人の方が、優先的な地位ないし権利を得ると(感じると)すれば、それはなぜなのか。哲学的な言葉の使い方をするなら、この「時間」を、より正確に言えば「時間軸の上に位置付けられた事実」を、一種の「功績」と呼ぶことが可能だろう。呼び方が重要なわけではない。肝心なのは、その「功績」が、あるイシューについて然るべき決定を下す際に考慮されるべき条件であると「感じられる」理由なのだが、その点についてはちっとも明らかでない。


この例では、ピンと来ない人が多いかもしれない。同じようなことは他に幾らでもあるので、別段歩道にこだわる必要は無い。スーパーやコンビニのレジに並ぶ場合でも、トイレで順番待ちをする場合でもいい(これは一般化できそうだ)。そこで私たちが律儀に並んで、順番を守ろうとするのはなぜだろうか。早く来た人が先に用事を済ませて、後に来た人はその次の番に回るべきだ、と。そう考えるのはなぜだろうか。横入りなど不当であり、そんな事をするのは許せないという、その「感じ」はどこから来るのだろうか。

直ぐに思い付くところでは、家庭や学校などでそう教わってきたから他の仕方を考えもしないのだ――規律訓練――とか、そうした方が効率的で社会が上手く回るからそう決めたのだ――調整問題――とか、そうすることが皆にとって利益になると誰もが何となく感じているからそうなったのだ――convention――とか、色々と説明を加えることはできる。しかし、ここで私が問題にしたい「感じ」は、そんな在り体の説明ツールで処理可能な範囲を超えたところに在る気がするのだ(ただし、もっとも核心に近づいているのはconvention論だとは思う)。それが何なのかを、知りたい。


先の歩道の例について、別のバージョンを考えてみよう。仮に、同じ状況の下に近づいてきた女性が、私と擦れ違う目前でその歩道に面した建物に入ったとしたら、どうだろう。その場合、何も無い時よりも、私は納得する部分が大きいように思う。店に入ろうとしていたなら、建物側からずれようとしないのも仕方が無いか、と思うかもしれない。それは非難し得ないと思うかもしれない。しかし、それはなぜだろう。店に入る事情があれば建物側を譲らなくても仕方無いと感じるのは、どういう理由によるものなのか。同じ立場なら私でもそうするだろうという共感ゆえだろうか。ならば、なぜ共感できる場合には非難し得ないことになるのか。

別の例を出そう。長い行列が出来ているトイレに音速で駆け込んできた男性が、寸分の誇張も無く今にも決壊しそうなんだと切迫した表情で訴えながら、順番を無視して空いた個室に駆け込んだとしても、私たちは彼を強く責め得ないのではないか。その態度は、万一にもカタストロフィに巻き込まれたくないという直接の利害認識にも支えられているのかもしれないが、より中心的な構成要素は、彼が言語的・遂行的に訴えた便意の深刻さへの認識と、彼が置かれた事態に対する一定の共感であろう。つまりそこでは、空いた個室を誰が先に利用するかについての決定においては、単に並んだ順番(功績)のみが考慮されるべきではなく、各人が催している便意の深刻度合も考慮されてよいと考えられたのだし、著しく深刻な事態に対する共感も決定に影響を及ぼす可能性があると示されたのである(もっとも、現実にはこのようなケースは多くないだろうが)。


……。しかし、これは違う。共感の話を拡げたのは失敗だった。これでは功績から共感へと論の対象がすり替わっただけで、功績がなぜ重視される(べきだと感じられる)のかという肝心の問いへの答えは導けそうにない。問題となる対象とどれだけ長くかかわりを持ったか。その事実がなぜ私たちの道徳感覚を規定するのか。この点を掘り下げる必要があるが、その掘り下げ方が難しい。私の知る限り、類似の問題について最も包括的かつ根本的な思考を展開して見せたのはD.ヒュームだと思うが、彼の哲学を横目に見ながら、もう少し踏み込んだところへ行けないかと思う。どうもこの連載は、こうしたフワフワした感触のまま進んでいくことになりそうである。


Sunday, November 16, 2008

戦後アメリカの政治思想


  • 仲正昌樹『集中講義!アメリカ現代思想――リベラリズムの冒険』日本放送出版協会(NHKブックス)、2008年

  • 会田弘継『追跡・アメリカの思想家たち』新潮社(新潮選書)、2008年


米大統領選イヤーの今年はアメリカにまつわる書籍が多数刊行されたが、今回はその中で、戦後アメリカの政治思想ないし思想家に焦点を当てた上の二冊を採り上げたい。『集中講義』は、複雑な哲学的議論を一般向けに解り易く――かつ皮肉たっぷりに――解説する手腕に定評がある政治思想史家の書き下ろしであり、「自由」と「リベラリズム」を巡る様々な理論(フロム、ハイエク、アレント、ロールズ、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム、ポストモダン思想、フェミニズム、多文化主義、ローティなど)の歴史的展開を、現実の政治や社会の動向との関連を明示しながら丁寧に解説している。

著者によれば、かつてアメリカはA.トクヴィルにその「非哲学性」を指摘され、長い間「アメリカ哲学」や「アメリカ思想」などの存在は無きに等しいものと考えられていた。ところが1980年代後半以降、フランス現代思想が有意な発展を見せずに衰退していくのと入れ代わりに、「アメリカ発」の哲学が世界的に幅を利かせるようになった。「アメリカ発」の哲学は、第一にアメリカ版ポストモダン思想としてフランス現代思想を独自に継承し、第二に分析哲学としてドイツ観念論を傍流へと押しやり、第三に本書が扱うロールズ以降の「正義論」として倫理学・政治哲学・法哲学を再活性化させた。これら「アメリカ発」の哲学は、社会主義の退潮とグローバリゼーションの進行とともに日本でも90年代から影響力を増しており、今や思想や哲学と言えば、まずアメリカの議論が参照されるようになっている。したがって、本書はアメリカ思想についての導入であると同時に、価値を巡る哲学全般への導入としても有用である。


ただし、『集中講義』はリベラリズムを議論の軸としているために、必ずしもアメリカの戦後思潮の全体をカバーできているわけではない。保守的な思想家を多数採り上げている『思想家たち』は、その補完として役立つであろう。『集中講義』が専門的な議論の変遷を中心に扱っているのに対して、ジャーナリストである著者の雑誌連載をまとめた『思想家たち』には、大学人のみならず、在野の思想家や宗教家、ジャーナリストなど多様な人物が登場する。そこで問題とされるのは学問的な理論の体系であるよりもむしろ、一般大衆や現実政治とより直接に結び付きやすい思想運動や言論活動が主である。タイトルからもうかがえる通り、本書は思想そのものと同等か、それ以上に思想家の生にも関心を寄せており、読み物としても楽しめる水準に出来ている(もっとも、その分だけ思想そのものへの踏み込みには物足りないところも少なくない)。

ロールズ(第7章)やノージック(第8章)も扱われてはいるが、中心となっているのは、伝統の存在しない若い国家アメリカで進歩への懐疑と伝統の重視を旨とするバーク的保守主義を「創造」したラッセル・カーク(第1章)をはじめとする、保守的な思想家たちである。カークに近い反近代的な思想家としては、非国家的な共同体の役割を重視するロバート・ニスベット(第9章)や、産業主義を敵視した南部農本主義者リチャード・ウィーバー(第4章)、やや立ち位置は異なるが戦後アメリカの保守論壇を代表する論客でレーガン政権誕生に大きく寄与したウィリアム・バックリー(第10章)、古代ギリシア哲学の解読を通じて近代への批判的視線を形成しているレオ・シュトラウス(第5章)などが扱われている。シュトラウスに代表されるような反近代的な視線を織り込みながらも近代的な価値を積極的に肯定する保守派としては、アーヴィング・クリストルとともにいわゆるネオ・コンサバティブの始祖とされているノーマン・ポドレッツ(第2章)と、単独主義的な軍事行動や介入主義的な価値観外交を積極的に推進しようとするネオコン第三世代(ロバート・ケーガン、ウィリアム・クリストルら)との微妙な距離感を見せる第二世代フランシス・フクヤマ(第11章)が採り上げられている。さらに、硬骨のジャーナリストH.L.メンケン(第6章)や、1920年代から30年代にかけて自由主義神学に抵抗して宗教右派の源流を作ったJ.グレシャム・メンチェン(第3章)にも章が割かれている。

佐々木毅は『現代アメリカの保守主義』(岩波書店(岩波同時代ライブラリー)、1993年)で、アメリカの保守主義者を(1)東北部の大企業などに足場を置く共和党エスタブリッシュメント(ウォールストリート保守派)、(2)中西部の小企業家などを中心とするオールドライト、(3)60年代後半から転向知識人によって形成されたネオコン、(4)黒人運動へのホワイトバックラッシュを契機に70年代初頭から若者を中心に活発な運動を開始したニューライト、(5)TVを通じた伝導と草の根の運動で70年代を通じて結束力を強めたキリスト教ニューライト(宗教右派)の5つのグループに分類している。『思想家たち』の中では、ゴールドウォーターの選挙戦(64年)を支え、レーガン政権を誕生させたバックリーが代表的なオールドライトの思想家であり、宗教右派の中心的な指導者であったビリー・グラハムとジェリー・フォルウェルは、ともにメンチェンの孫弟子である。カークら伝統主義的保守派は大衆的基盤を持っているとは言えず、オールドライト・ニューライト・宗教右派などと隣接しながらも、完全には重ならない位置を占めている。また、ポドレッツとフクヤマはネオコンに分類されるが、その思想的特徴が十分に把握されているとは言えないネオコンの来歴を詳細に描き、60年代後半から国内問題に限定して現実主義的なリベラル批判を展開した第一世代(N.ポドレッツ、A.クリストル、ダニエル・ベル、D.P.モイニハン、ネイサン・グレイザーら)と、そこに70年代後半からポール・ウォルフォウィッツやリチャード・パールなど外交問題のタカ派論客が合流することによって生まれた第二世代、レーガン政権を経てネオコンが保守派の主流と統合された後で登場し、第一世代の屈折を継承しない素朴な第三世代(ケーガン、W.クリストル、J.ポドレッツ、ディヴィッド・ブルックス、マックス・ブートら)の差異を提示する箇所は、本書の最大の読みどころの一つである。


折しも、バラク・オバマが大統領に当選を果たし、民主党が政権に復帰することとなった。イラク戦争の泥沼化によって既にネオコンの影響力は失墜しており、未曽有の金融危機の発生によって「新自由主義の終焉」がささやかれている。ある思想の「終焉」を安易に語ることは控えるべきであるが、30年程度続いたアメリカの思想潮流に重大な転機が訪れていることは確かであろう。ここで紹介した二冊は、過去を把握し、未来を推察する助けになってくれるはずである。

Sunday, November 9, 2008

かかわりあいの政治学3――出来事が持つ意味


(承前)


 個別の出来事が個別の出来事以上のものになることがある。直接には少数の人がかかわっただけの特異な出来事が、その特異性を維持したまま、その出来事が属する〈現在〉の全体を圧縮して代表することがある。日本の戦後史から例をとれば、連合赤軍事件がそのような出来事だったし、オウム真理教事件もそうであった。


大澤真幸「はじめに」大澤真幸編『アキハバラ発 〈00年代〉への問い』(岩波書店、2008年)、ⅴ頁


個別の出来事は、個別の出来事でしかない。それが個別の出来事以上のものに「思えるようになる」のは、出来事の外部からの視線が、出来事に何らかの「代表性」(ないし象徴性)を読み込むからである。「代表性」とは何だろうか。それは構成の代表なのか、利害の代表なのか、意思の代表なのか。「全体を圧縮して代表する」とは何だろうか。圧縮された全体が一個の事件によって代表されると言うことは、何も代表されていないということではなかろうか。その空虚な「代表性」の内部に、何でも好きなものを詰め込んで代表させて見せることができる、ということではなかろうか。「代表させっこゲーム」に興じる人々は、対象となる出来事を巡る言説に利害関心を持っているに過ぎず、出来事そのものに「かかわっている」わけでは、確かにない。


しかしながら、狭い意味では出来事にかかわっていない人間が、その出来事そのものに強い「かかわり」を持つことは、確かにある。TVを通して知る遠い彼方の出来事が、「自分のこと」としか感じられなくなるようなケースは、稀ではない。出来事から大きな衝撃を受け、深い悲しみの穴に落ち込む。あるいは出来事に激しい怒りを覚え、誰か/何かを強く憎む。そのいずれでもないにせよ、出来事に感情を揺り動かされ、出来事の行方に高い関心を寄せる。そうした人々は、その出来事に「かかわり」を持っていると言えるだろう。

もちろん、そこにも各人なりの「読み込み」が無いとは言えない。出来事についての言説に「かかわっている」人間と、出来事そのものに「かかわっている」人間との区別は、そうスッパリと付けられるものではない。それでも、スッパリと言えることはある。「個別の出来事が個別の出来事以上のものになることがある」とすれば――と言うよりも一層正確に言うなら:個別の出来事が「少数の人がかかわっただけの特異な出来事」に留まらず、それ以上の意味を帯びることがあるのは、それが何かを「代表」するからではなく、広い範囲の多数の人々と直接に結び付くからなのだ。


私は過去に、秋葉原無差別殺傷事件のような出来事について語ることは公的に必要なことではなく、「究極的には当事者にしか必要でない」ことだと述べた。そこで言う「当事者」とは、狭義の「かかわり」を持つ「少数の人」に限られるものではなく、それら「少数の人」と何らの接触も持たずして、図らずも出来事に「直接の結び付き」を持つことになった多数の人々を含み得る幅を備えた言葉である。より適切には、「関係者」と言い換えた方がよかろう。


この意味での「かかわり」は種類も程度も多様であり、「関係者」の範囲は無限に広がり得る。しかし、一般に認識される「当事者」が持つ狭義の「かかわり」と、「関係者」が持つ広義の「かかわり」の間に、自明な階梯が存在するわけではない。前者が後者よりも重視されるとすれば、それは何らかの社会的合意に基づくものであり、自然な序列ではない。社会の秩序は、その内外に存在する無数の「かかわり」の内で、何かを採り上げ、何かを打ち棄てることによって成立していく。だから、「かかわり」について掘り下げて考えることは、社会の構成を明らかにすると同時に、その組み換えの可能性に意識を向かわせる作業ともなる。

そのようなことを念頭に置きつつ、次回以降も細やかなことを考えていきたい。

Friday, October 17, 2008

かかわりあいの政治学2――個体の「本質」を疑う


(承前)


前回、何が「自分のこと」であるのかは、何が自分に「関係する」のかについての意識に依存していることを述べて、いわゆる「自己決定」原理が前提としている論理を抉り出して見せた*1。今回は、その関係の主体、意識する主体について、掘り下げて考えてみたい。丁度、roryさんに言及を頂いたのを契機に、少し前に気になった一節を思い出したので、それを足掛かりにしよう。


言語哲学の有力説によれば、名前(固有名)は、決して(それによって指示される個体の)性質についての記述に還元されえない。「大澤真幸」という名前は、「社会学者で、大学教員で、松本の出身で……」といった、アイデンティティの内容を示す諸性質の記述に置き換えることはできない。理由は簡単だ。これら諸性質のすべてを失っても、大澤真幸は大澤真幸だからである。だから人は「大澤真幸が松本出身でなかったならば」等のことを、いくらでも仮想できる。要するに、名前は、個体の諸性質に還元することができない余剰Xを指示しているのだ。


[大澤真幸『不可能性の時代』岩波書店(岩波新書)、2008年、65頁]


この考えは、ほぼ完璧に間違いである*2。「諸性質のすべてを失っても、大澤真幸は大澤真幸だから」との主張は無根拠であり、ただ直感に訴えているに過ぎない。「諸性質の記述」を「確定記述」と呼ぶが、現に存在している「大澤真幸」の確定記述を一つ変えても同じ「大澤真幸」であり続けられると考えるのは、単なる錯覚である。これは別著で大澤自身が出している例だが、仮に大澤が虫に変身して過去の意識も失ったとしたら、その後でもなお、その虫を「彼」――かつて私たちが意味していた「大澤真幸」――であると考えるのは無理な話だし、間違ってもいる*3

個体は、確定記述を含めて、全体で「その個体」として構成されているので、記述が書き換えられれば、その度毎に「大澤真幸」の指示内容は更新されていく。今現在の大澤真幸は、松本出身であるから――ないしは松本出身であると信じているから――今のような大澤真幸になった。同じ遺伝子を持っていても、別の地に生まれ育ち、別の経験をし、別の人間関係を築き、別の職業に就けば、私たちが意味する「大澤真幸」にはならない。彼は、社会学者となり、大学教員になったからこそ、今存在しているような大澤真幸へと至ったのである。そして、唯一無二の個体としての「大澤真幸」は、定義上、時空間を通じて一個しか存在しない。したがって、「松本出身でなかった大澤真幸」は、現に松本出身である大澤真幸とは別の個体である。

今現在の大澤真幸(マサチA)と仮想された「大澤真幸」(マサチB)が同一人物であるように思えるのは、今現在の大澤真幸の像を通じて仮象を構築しているからである。これと基本的に同種の誤りとして、過去の「大澤真幸」(マサチC)や未来の「大澤真幸」(マサチD)をマサチAと完全に同一視することがある。マサチAは、マサチB・マサチC・マサチDのそれぞれと大半の確定記述を共有しているが、単にそれだけである。確定記述がほとんど一致していても、完全に一致していなければ同一人物とは言えない。


マサチAをマサチB・マサチC・マサチDと同一人物であると思い込む誤りが生じるのは、確定記述の集積に還元されない「余剰」、すなわち個体に固有の「本質」が存在しているとの想定があり、その「本質」の存在によって「大澤真幸」であることを同定できると考えられているからである*4。しかし、その「余剰」とは一体何であるのか。

おそらく、そんなものは存在しない。存在するのは個体の唯一無二性だけである。個体が唯一無二であるのは、絶対に他の個体と重複しない「本質」を保有しているからではない。無数の確定記述の組み合わせと、それを総合する「器」としての個体が今・此処に存在しているという端的な事実が、それ自体として唯一無二でしか在り得ないのである。


もちろん私たちの直感は、確定記述を一つ違えた自己(私B)や、過去および未来の自己(私C/私D)を、今現在の自己(私A)と同一人物だと教える。また、社会生活や法制度においても、私Aを私Cや私Dと同一人物であると見做さなければ、著しい混乱が引き起こされてしまうだろう*5。だが、少なくともマサチA≒マサチB≒マサチC≒マサチDと考える――社会運営上の必要からマサチA=マサチB=マサチC=マサチDと「見做す」――ためには、「余剰」の想定など必要無い。単に複数の「マサチ」の間で大半の確定記述――すなわち〈関係〉――が共有されているから彼らを同一視するのだと、ありのままの事実に即して考えればよい。
個体の確定記述は一瞬一瞬に更新されていくので、今現在の私は、この文章を書き始めた時の私とは全然別人である。しかし、他の個体との差異に比べれば、異時点の私に生じた差異などはほとんど無視できる程に微小であろう。したがって、異時点間における人格の同一性が相対的であることを一旦認めるなら、自己の利害と他者の利害を同水準で配慮しなければならなくなる、と考えるのは無理がある*6。私はそうした極端なことを主張したいのではなく、個体の「本質」のような不明朗な想定に頼って個体間の差異を絶対化するよりも*7、確定記述の重なりと差異という観点から、個体の構成と個体間の関係を一元的に(フラットに)把握することによって、より見通しが良くなるのではないかと言いたいだけである。



*1:誰も覚えていないであろう連載の第2回目であるが、当然のように再開してみる。

*2:私は言語哲学に詳しくないが、この説は研究者から一般の人に至るまで広範に支持されている様に思う。法学分野での「有力説」とは多数の支持を得るまでには至っていないものの説得的な論拠を提示している説を意味するが、ここで示されている説は法学で言うところの通説ないし多数説となっているのではないだろうか。

*3:衝撃的な「変身」の後でもなお、その個体に固有の「本質」が(たとえわずかでも)残されていたと描く数多のファンタジーは、記憶の連続性を前提とする限り、「諸性質のすべてを失っ」た後でも「本質」が残されるという事態を描けてはいない。ある想定がファンタジーとしても描けないということは、それが人間の想像力を超えており、(私たちにとって)根源的に在り得ない事態であるということを意味する。

*4:論点先取。

*5:思うに、確定記述に還元されない「余剰」とは、マサチBやマサチCやマサチDがマサチAと同一人物にしか思えないという感覚に基づいて、遡及的に構成された想定である。

*6:D.パーフィットがこれに類する主張をしている。議論の詳細は、北田暁大『責任と正義』(勁草書房、2003年)を参照。

*7:私の主張はもしかすると解りにくいかもしれないので端的に確認すると、「個体は確定記述に還元し得るが、唯一無二である」との旨である。なお、この意味での唯一無二性は、「この私」も「この消しゴム」も、完全に同等である。


Monday, September 1, 2008

犯罪報道に実名など要らない


少年法第61条に関して、柔軟な運用を求める立場がある。要するに、少年犯罪でも場合によっては実名報道したってよいではないか、という主張である。


その論拠は大まかに言って3つ程あるだろうか。


(1)マスメディアには表現の自由が、国民には「知る権利」があるので、たとえ少年犯罪でも一律に報道を規制するべきではない。

(2)非公開となっている少年事件の詳細を知ることができれば、背景の分析を通じて、同様の事件を防ぐための社会的施策を取ることができる。

(3)実名を公表することにより、自分が行ったことに対する責任を少年に自覚させる(ことを通じて再犯の予防にも役立つ)。


私は「知る権利」などあるのか疑問に感じているし、事件報道などほとんど必要ないと考えているので、(1)と(2)に関しては非常に嘘臭く思えてしまう。


少年による事件であっても、加害者の情報をある程度報道することには反対しない。だが、ほとんどの事件において、わざわざ加害者の実名(や顔写真)を公表する必要は何ら存在しないはずである(被害者についても同様)。

主張者は、少年の氏名が「合理的な公的関心の対象となる場合」、表現の自由や知る権利と少年の利益を比較衡量した上で少年の氏名の公表が許容される可能性は、否定されるべきではないと言う(松井茂記『少年事件の実名報道は許されないのか――少年法と表現の自由――』日本評論社、2000年、131頁)。しかしながら、私には加害者の「氏名」そのものが「合理的な公的関心」の対象になる事態が、ほとんど想定できない(これは、成人についてもそうである)。辛うじて、加害者が凶器を携帯して逃走中である場合や、加害者が既に公知たる著名人である場合を考え得るに留まる。これら以外の一般の事件については、加害者の実名が重要であることは、まず無いと言ってよい。だから、報道しなくてよい。


ところが、主張者によれば、少年の氏名そのものに価値があるかどうかは問題ではないのだと言う。少年の住環境や家族構成、通学している学校や生育環境、犯行事実、その背景などについて報道を行えば、いずれ本人を特定することは可能になる。そのため、事件の詳細を知るために氏名それ自体は不可欠でないとしても、加害者の情報を報道することを一旦是とすれば、氏名の公表を禁止すべき理由は乏しいとされるのだ(松井前掲書、142頁)。

これは、論理になっていない論理である。特定可能な情報を伝えることと、特定情報そのものを伝えることは違う。たとえ結果的には特定され得るとしても、直接に氏名を公表しないことには意味がある。その他の情報をいくら報道したところで、氏名(や顔写真)を報道しなければ、周囲の人々には特定されてしまうとしても、社会一般の人々には特定されずに済む。固有名が流れてしまえば、社会一般からも特定されてしまう。この違いは大きく、「どうせばれてしまうんだから…」などという消極的な理由で実名を垂れ流してしまおうとする主張者の軽率さを示している*1


敢えて社会一般の人々に対しても特定情報そのものを流そうとすることの意味は何なのか。社会にとっては、犯罪の背景は重要であり得るとしても、個別の事件の犯人の固有名など、何の意味も持たないはずである。歴史に刻まれるような重大事件であっても、せいぜいイニシャルか仮名でよいと、私は思う(成人についても同じ)。

4人を射殺したとして1969年に逮捕された少年について実名報道を行った朝日新聞は、「事件の社会的意味が大きく、少年の人柄、育った環境などを詳しく報道しなければ事件の本質を解明できないと判断した場合は、氏名を明記、写真を掲載する方針」であると、当時の社告で述べている(高山文彦編『少年犯罪実名報道』文藝春秋(文春新書)、2002年、173頁)。見事なまでに意味不明な文章である。「事件の本質を解明」するために、なぜ「氏名」と「写真」が必要なのかが、全く説明されていないからだ。

なぜ、これ程までに「氏名」が重視されるのであろうか。私には、先の(3)に類する考え、とりわけ実名公表を通じた「社会からの応報」が必要だとする考えが根強いためではないかと思える。実際、今や少年は権利主体として尊重されるべきであり、パターナリズムから解放して自己責任の下に置くべきであるから、犯罪に際しては「保護」よりも「罰」を与えるべきであるとの認識を前提に(松井前掲書、212-213頁、高山前掲書、22頁)、社会による非制度的な応報/処罰機能を評価する見解が示されている(松井前掲書、ⅳ頁)。それならば応報が目的なのだと潔く述べればいいと思うのだが、必ずしもその意思が明らかにされないために、分かりにくくなっている*2。そういうことなのだと思う。


*1:松井によれば、社会的に重大な事件に関する公共的な討論が意味あるものとされるためには、十分な事実が報道されなければならず、そのためには「どうしても少年の氏名は明らかになってしまうものである」(松井前掲書、151頁)。かくも無邪気に必然性が偽装されていることに、驚きを禁じ得ない。

*2:松井は性犯罪について書いた本でもそうだったが、最初から自らの立場が明確でありながら、ある程度まで中立を装うように書くので、非常にうっとうしい。あと、この人は文章が下手だよな。繰り返しが多いし。いや、本自体は情報として勉強になる部分が多いけども。


Saturday, August 16, 2008

続・「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話


未だ当たっておくべき文献は残っているのだが、もとより論文を書くわけでもないし、それなりに文献を渉猟する中で既にある程度言えることも出て来たので、ひとまず書いておくことにしよう。なお、本エントリは以下の二つのエントリの続きとして書かれるので、予め参照を乞いたい。





「国が仇を討ってやるから、勝手にやるな」



まず、全国犯罪被害者の会で代表幹事を務める岡村勲の手になる文章の一節を引いておきたい*1


 人問誰しも犯罪、特に重大な犯罪の被害者や遺族になれば、加害者に対して応報感情を持つのは当然だ。

昔は「仇討ち」という制度があった。殺害された被害者の近親者は、休職して仇討ちに行く。捜査費用は本人持ちだ。首尾よく目的を達して帰国したら、武士の鑑として賞賛され、復職する。途中の艱難辛苦に堪えかねて、脱落した者もいたろうが、それはともかく被害者の応報感情を満たす道は開かれていた。この制度は明治になっても続き、同15年公布の旧刑法で禁止となった(石井良助『大系日本史叢書4法制史』314頁)。私的制裁を許すと法秩序が保てない、国が仇を討ってやるから、勝手にやるな、ということだったのだろう。


注目したいのは、最後の一文である。「国が仇を討ってやる」との「契約」が国家と国民の間に交わされた事実の存在を裏付ける根拠は示されていない。そのような「契約」は、あくまでも岡村の想像の中に在るに過ぎない。これまで私たちは、岡村同様に「契約」の存在に注意を促し、「だから」国家による刑罰は被害者による復讐を肩代わりする装置として在るのだ、との語りを多く耳にしてきた。だが、思えば奇妙なことに、そのような「契約」の存在が明示された例は聞かない。それは、実際には「契約」など存在しなかったからではないのか。私にこのエントリを書かせている中核的な疑念は、このようなものである。タイトルに据えられている言葉も、そのような意味を持つ。

この出発点を忘れないで欲しい。つまり、私の関心が最も強く向けられているのは、近代化に伴って刑罰権を回収していく国家が、犯罪の被害に遭った者による復讐の代行を引き受けるような姿勢を明示的/黙示的に採ったという歴史的事実が確認できるかどうかなのである。そのような事実が確認できるのならば、「だから…」と主張されることには裏付けがあると認められる。逆に、そのような事実が確認できないのならば、当該の言説は神話を拠りどころにしていると判断せざるを得ない。最終的に私は(前回に引き続いて)後者の立場に傾くことになるのであるが、そうした結論に至るまでの道程を以下で順に辿っていこう。


日本刑事法制史の中の復讐



ここでは、日本における刑事法の歩みと各時代の特徴を、かいつまんで押さえておきたい。


上代・上古における「つみ」とは、神に対して「包み/慎み」隠さねばならないような、神の忌み嫌うもの・神聖を害するものの意味であり、その内容には悪事・悪行の他に疾病・不具・災厄・災難・醜穢なども含まれていた*2。「つみ」に対しては、それによって生じた「けがれ」を「はらふ」ことによって、神の怒りを鎮めなければならない*3。かくのごとく当時の犯罪観は宗教的なものであり、「犯罪者」に対して行われるのは今あるような刑罰と言うよりも、宗教的儀式としての「はらへ」であり「みそぎ」であった。

その後、律令制が整備されて以降には、儒教的道徳が犯罪観の基盤を成した。刑事政策の眼目は道徳的秩序の維持・回復に据えられていたから、一般予防のみならず、犯人の教化などを通じた特別予防も重視され、その両方が刑罰の目的であった。また、刑罰は公権力が行うものとする公刑主義が採られていたため、私刑は当然に制限されていた*4

鎌倉期に入ると、刑罰の目的として一般予防に重点が置かれるようになる。その背景には、律令制を支えた儒教的道徳から武家社会を支配する封建的道徳へと、刑事政策の基盤が移ったことがあろう。犯罪者の内面を顧慮する姿勢を保つことは、武断的色彩が濃くなるにつれて困難になるのだろうか。室町期から戦国期へと、時代を下るごとに一般予防主義への傾きは強くなっていくことになる*5。戦国期に喧嘩両成敗法が登場するのも、このような文脈の中でのことである*6。室町期に至る武家政治においても公刑主義は変わらず、私刑・敵討は禁止されていた。戦国期も同様だが、この時期に部分的ながら敵討を許容する例が現れ始め、それが徳川幕府の採用するに至って、江戸期の敵討公許制が形作られることになる*7

江戸期においても公刑主義が原則であり、一般的には私刑は禁止されているのであるが、所定の手続きを経て幕府の許可を得る限りで、親や兄などの敵を討つことが許された*8。以前のエントリで私は、敵討を為し得たのは基本的に武士階級の者だけであっただろうとの推測から、日本においても私的刑罰権が承認される範囲には階層的な限定性があったのではないかと想定を示した*9。現に、敵討は「主として武士につき」認められた制度であるとの解説もあるが*10、他方で庶民もほぼ同様の手続きを通じて敵討が可能であったとの伝もある*11。後者によれば、庶民による申請は容易に許されなかったものの、江戸末期においてはむしろ庶民による敵討の方が多くなったとされるので、日本における復讐の階層的限定性はあまり強くなかったのであろう。なお、江戸期においても一般予防が刑罰の主目的と見做されていることは変わらない*12

明治3年に制定された「新律綱領」には、「闘殴律」なる条文が見られる。これは、祖父母ないし父母を殺された者が敵討を行って犯人を殺すと笞50の刑に処するけれども、現行犯の時点で犯人を殺して官に告げれば罪を免ずるという規定である。明治6年2月の37号布告が復讐を禁じたことによって同条文の免罪規定は廃されたが、反発が大きかったのであろう、同年4月の122号布告で復活を見た。敵討を許容する規定の全廃は、明治13年公布(15年施行)の旧刑法の制定による*13。この時ようやく、近代国家的な刑罰権の独占が完成したと言えよう*14


敵討の「違法」性



以上は、日本法制史学の主流的見解である。ポイントは、ひとまず二点ある。第一に、刑罰の目的は一貫して一般予防を主としていること。つまり、歴史的に見れば、刑罰は常に何らかの意味での社会秩序の維持・強化のために科されてきたということである。第二には、敵討が制定法によって認められていたのは、江戸期とその前後の短い期間に留まること。中世においては復讐が自由だったと言うのは、それこそ神話であるに過ぎない。

もっとも、第二点については『喧嘩両成敗の誕生』を著した清水克行の反論がある*15。清水は、敵討を公権力が公認していた事実は「近世以前の日本ではほとんど確認できない」と述べて、敵討が制定法の上では禁止されていたことを認める*16。だが、社会通念としては敵討が「違法行為」であるとは考えられていなかったし、現に室町政府内には父祖の敵討を無罪とする判断を示す者が現われていることが確認できると言う*17。清水の記述によっては室町期以前の「社会通念」がどうであったのかは不明であるが*18、「現存する公権力の制定法がいずれも敵討を禁止しているからといって、それが必ずしも中世社会全体の中で敵討が違法行為であるとみなされていたことの証拠にはならない」との主張は確かに正しい*19。正しいのだがしかし、それは「戦後の法制史学の最大の誤り」と言うよりも、法制史研究の射程ないし範疇をどこまでに設定するかという方法論上の問題と見るべきだろう。

無論、清水が指摘するように、公権力による制定法に限らず社会内に存在している多元的な法慣習に着目することは重要であるが、「法制史」なるものを描く場合に、多元的な法慣習にまで目配りをすることがどこまで可能であり、どこまで目指されるべきなのかは、簡単に答えが出せる問題ではない。「もっと目配りをするべきだ」との主張なら受け容れ易いが、目配りをしていないから事実認識としても間違えていると主張するなら、粗雑に過ぎるだろう。憶測を含むことになるが、「戦後の法制史学」は多分、敵討が制定法上は長く認められていなかったことを記述してきただけで、「だから敵討は現実にも行われていなかった」とまでは言っていなかっただろうから、いわば強調点の相違が在るに過ぎない。少なくとも私は、公権力による制定法と社会内の法慣習を同水準で扱うべきだとは考えないし、それゆえに多元的な法慣習の中で認められていたから敵討が「違法」であるとは考えられていなかったとの主張に対して、すんなりと首肯する気にはならない。社会内の法慣習は、実定法によって採用されている部分を除けば基本的に実定道徳と見做すべきであり、その道徳――広い意味での「法」――に適っていることと、実定法――「法律」や「法規」――によって認められていることは最低限区別が必要である*20

だから、近世以前の日本においては敵討は制定法上は違法であったけれども、現実には社会内部の様々な法慣習に基づきながら盛んに行われていた。そう言えばよいだけである。前回のエントリでは農民からフェーデの権利が剥奪されていった中世ヨーロッパの歴史を書いたが、現実には禁止されたフェーデを農民が行うケースはしばしばあったという*21。かくのごとく現実は多面的であるが、しかし制定法への違背が存在するからといって制定法の存在が直ちに無意味になるわけではないのであって、その内容をそれとして捉えておくことは軽視できることではない。したがって、江戸期目前に至るまで敵討が公権力には認められたかった事実の意味は――加えて、公権力の許可を得ない敵討が認められたことはないという事実の意味も――、小さくならない。


中世における復讐の意味



ヨーロッパについての話が出たところで、前回のフォローの意味も込めて、このまま少し舞台を移そう。

古代から中世までのヨーロッパにおける復讐の主体になったのはジッペ(氏族)であり、個人ではなかった。個人に向けられた攻撃は、ジッペ全体への挑戦と見做され、加害者側のジッペとの私闘=フェーデを引き起こす。フェーデを行うことは単なる権利であるだけではなく、義務でもあった。その際に問題になるのはジッペ全体の名誉であり栄光であったから、被害者本人やその家族/遺族の感情はあまり重要でなかったと思われる。実際、フェーデにおいて標的とされるのは加害者本人であるよりも、相手方のジッペにおける主だった者や、被害者と同等の地位にある人間であった*22

また、宗教上の犯罪や、夜間の窃盗、放火、強姦などの「破廉恥罪」のように国家や人民全体の法益を損なうような特別な違法行為(アハト事件)に対しては「平和喪失」が宣言された。これは加害者が法の外に放逐されることを意味し、以降、彼は単なる「狼」として追い立てられ、狩られる対象となる。誰もが彼を殺してもよい、と言うよりもむしろ、「狼」は狩らねばならないとされるのである。平和喪失者については、その殺害を妨げるべく彼の氏族が保護を与えることは許されない*23。アハト事件とは、フェーデが許されない種類の犯罪なのであり、それゆえに国家的刑法の萌芽とされる*24

アハト事件において問題となるのは、社会秩序の毀損である。犯人は国家および人民全体の敵と見做されることになるが、それは毀してはならない秩序を毀したからである。犯人が法の外に置かれてジッペの保護も失い私刑の対象とされるのは、社会秩序に対する重大な毀損を行った者を社会全体の敵として適切に処理することによって、社会内の秩序を回復するためである。その際、犯人に対する刑の執行は、宗教的儀式の性格を帯びている。すなわち、社会の構成員が共同して犯罪者を処理する儀式を通じて、社会秩序が回復されたとの見做しが行われる。そのような機能が働いていると考えられるだろう*25。だとすれば、これはいわば「社会からの復讐」、すなわち応報としての刑罰の現れであると見做せることになる。

以上のような中世ヨーロッパ事情から、中世における復讐の観念が、現代の私たちとはやや違った意味合いを持っていることがうかがえる。その違いを端的に言えば、現代の復讐観念は(近代化を反映して)個人単位であるのに対して、中世の復讐観念は集団単位、共同体単位である、ということである。そして、この点については、日本も概ね同様のことが言える。中世日本社会に見られる「衡平感覚」「相殺主義」は*26、中世ヨーロッパと似ている。敵討において重視されるのが相互の共同体の名誉である点も、敵討の標的にされるのが加害者本人であるよりも被害者と同等の地位にある者である点も、フェーデと同じである*27。そこでは、被害者本人やその家族/遺族の感情は置き去りにされることが少なくないし、加害の事実がどうであったかや、加害者が誰であるのかといった事実なども重視されないことがある。つまり、中世における復讐は、被害を受けた個人のためにあるのではなかったし、復讐を為し得る権利が帰属するのは個人であるよりも彼が帰属する共同体であった。このような事実を無視して、近代的個人主義を前提とする現代の私たちが、「中世においては復讐が認められていたが、国家がその権利を奪った」と語り、国家が無ければあらゆる個人の手に復讐の権利が渡っているはずであると想定するのは、現代的眼差しから過去を錯視するアナクロニズムと言わざるを得ない。


「刑罰は国家による復讐の肩代わりである」と語ることの意味



長い論述になった。強調しておいた出発点を覚えているだろうか。問いはこうだった。歴史的に見て、近代国家が刑罰権を独占するにあたって国民に復讐の肩代わりを約束したという事実は確認できるか。答えは、「確認できない」。それは日本の刑事法制史を辿って見せた段階で既に明らかだった。統治者はただ淡々と、復讐を禁じ、私刑を廃しただけである。制定法を見る限りは、そうとしか言えない。

しかし、社会内部の実定道徳としては敵討が許容されてきた長い歴史が在るし、直前の江戸期においては公権力も敵討を容認していたのであるから、被治者の側に「復讐を禁じるなら、国家が代行してくれなければいけない」との強い要望が広く存在していたことは想像するに難くない。だから、「刑罰は国家による復讐の肩代わりである」との見解が現代まで引き継がれて流通していることには、それなりの理由があるとは思う。とはいえ、制定法の意味を軽視できないことは強調した通りであるし、現に「契約」は見出せないのであるから、そうした言説はやはり神話なのである。

私が「刑罰は国家による復讐の肩代わりである」との言説が神話であると指摘するのは、そうした言説を語ってはいけないということを意味しないし、言説の内容そのものを論駁したことにもならない。歴史的にはともかく、「刑罰は国家による復讐の肩代わりである」べきだ、と主張することは妨げられないからである。私が示したのは、例えば岡村が想定しているような「契約」は歴史的に確認できないので、「契約」の存在を前提としながら「だから刑罰は…」と語るなら、それは妥当しないということに留まる。歴史的事実においては「刑罰は国家による復讐の肩代わり」として措定されたことはないが、規範的主張の一つとして「刑罰は国家による復讐の肩代わり」であるべきだと主張するのは自由である。ただ、その主張が歴史的裏付けに支えられない独立した主張であることについての認識を求めたい*28



*2:石井良助『体系日本史叢書4 法制史』(山川出版社、1964年)、25頁。大久保治男・茂野隆晴『法律学全書8 日本法制史』(高文堂出版、1983年)、34頁。

*3:石井前掲書、26頁。大久保・茂野前掲書、38-39頁。

*4:石井前掲書、73頁。大久保・茂野前掲書、90-91頁。

*5:石井前掲書、137-138頁。大久保・茂野前掲書、159-160頁。

*6:石井前掲書、138-139頁。大久保・茂野前掲書、168頁。

*7:石井前掲『法制史』、213頁。石井良助編『法律学演習講座 日本法制史』(青林書院、1959年)、285-286頁。

*8:石井前掲『法制史』、213-214頁。大久保・茂野前掲書、227-230頁。石井編前掲『日本法制史』、286-287頁。

*9:このような想定は、岡村の文章を見ても、決して特異でないことが分かる。だが、復讐を為し得たのが武士階級だけであったとするなら、近代において国家がその権利を剥奪したからといって、なぜ国家が国民全体について復讐の肩代わりを引き受けなければならないのだろうか(前回のエントリにおいて私が階層的限定性に注意を促した意味はどこまで理解されたのだろう)。岡村においては、この論理的齟齬が齟齬と見做されていない。もとより、この国では誰もが無根拠に特権的階級(サムライ!)の末裔の心づもりで居るのだ。

*10:石井前掲『法制史』、314頁。

*11:石井編前掲『日本法制史』、287頁。

*12:牧英正・藤原明久編『日本法制史』(青林書院、1993年)、147、225-226頁。

*13:高柳真三『日本法制史(二)』(有斐閣(有斐閣全書)、1965年)、198頁。石井前掲『法制史』、314-315頁。

*14:川口由彦『新法学ライブラリ‐29 日本近代法制史』(新世社、1998年)、160頁。

*15:同書をご教示して頂いた「とおりすがり」さんに感謝する。

*16:清水克行『喧嘩両成敗の誕生』(講談社(講談社選書メチエ)、2006年)、37頁。

*17:同、37-39頁。

*18:同書を読む限り、清水は室町期の事例のみを語りながら日本中世の全体像について描こうとする無理を為しているように見える。

*19:清水前掲書、40頁。強調は原文傍点。

*20:私は、法についての認識態度において法実証主義に与する。

*21:ハインリッヒ・ミッタイス『ドイツ法制史概説』(世良晃志郎訳、創文社、1954年)、323頁。

*22:ミッタイス前掲書、43-44、46頁。阿部謹也『刑吏の社会史』(中央公論新社(中公新書)、1978年)、42-43頁。

*23:例外はある。

*24:ミッタイス前掲書、44-47頁。阿部前掲書、44-45頁。

*25:阿部前掲書、95-96頁。

*26:清水前掲書、119頁。

*27:清水前掲書、169頁。

*28:こうした規範的主張を打ち出したい者が、それでも何らかの裏付けを得ようとして採る方法は幾つか考えられる。社会契約説的な論理を援用するのも、その一つであろう。それについては以前に検討し、否定的な評価を与えたが、おそらく今回の論述はその評価を補強しているはずである。詳細については、また機会があれば検討して述べることにしよう。


Monday, July 7, 2008

「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話


さて、藤井誠二『殺された側の論理』(講談社、2007年)に収録されている座談会で、小宮信夫が「中世の時代は被害者に復讐する権利や決闘という方法」があったけれども近代国家になると被害者からは力が奪われて、「当初は被害者の代わりに国が復讐する役割をして」いたが「いつの間にか国は秩序を乱すという理由で加害者を罰するというようになった」と発言している(252-253頁)。これは「被害者及び死刑」でも取り上げたように、しばしば見られる見解なのであるが、果たして小宮はどういった根拠に基づいて言っているのであろうか。仮にも犯罪社会学者という専門家の言うことであるから無根拠であるはずがなかろうと思うが、とりあえず自分なりに確かめられる部分は確かめようと思い、法制史の教科書をところどころ読み直してみた。



細かい部分まで詳述することは避けるが、この本にある記述を読む限りでは、国家による刑罰が被害者による復讐を肩代わりするものとして成立した歴史的事実は見当たらない。


確かに元々、ゲルマン社会では「通常の窃盗、姦通、傷害、公然たる殺人などの事件」は「親族の復讐または訴訟に委ねられ」ていた(47頁)。この「全自由人に許された、親族集団相互の血讐」を「フェーデ」と言うのだが、この権利はしかし、身分制社会の成立とともに、騎士と都市共同体のみに限定され、一般の農民からは剥奪されていったという(108頁)。同じ頃から、フェーデは従来の意味を越えて、騎士に認められた広範な私戦権を指すようになり、無軌道なフェーデの横行によって、治安秩序が乱されるようになった(108-109頁)。そこで、12世紀以降のドイツ皇帝は、恣意的なフェーデを抑止しようと幾度か「ラント平和令」を定め、規定への違反を処罰の対象とした(111-112頁)。これがヨーロッパにおける公権力による刑罰の明示的な起源であるとされる。15世紀末には、領邦君主らと諸都市との闘争が生み出す無秩序を改善するため、フェーデの全面禁止を定めた「永久ラント平和令」が発布され、国家による私戦権の回収が進んだ(171、73頁)。


少なくとも以上の流れを追う限りでは、国家による刑罰はその最初期においても被害者による復讐を代替するものではなかったようだ。むしろ始めから、刑罰は社会全体の治安維持という一般的法益を確保する目的のためにあった。そう言わざるを得ない。そもそも、中世においては復讐が自由だったという事実そのものが、きわめて限定された階層についてのみ言えることでしかない。日本について詳しいことは分からないが、似たようなことを言える部分はあるのではないか。


国家による刑罰の独占は、元々被害者に認められていた復讐権を剥奪した結果であるから、刑罰は復讐の代替として在るものだし、そう在るべきだ。このような言説が、まことしやかに語られてそれなりの時が経過している。私は以前にその思想史的な根拠について疑問を投げかけたが、今回は法制史的な根拠も薄弱ではないかとの疑いを提起した。無論、私は素人であるから確言することは避けたいのだが、思想史的にも法制史的にも明確な根拠が見当たらないように思える以上、「刑罰=国家による復讐の肩代わり」という言説は、要するに神話の類なのではないかという印象を強くしている。




被害者が負うもの・負わないもの


藤井誠二が犯罪被害者に密着し過ぎていることは既に明らかだが、この本の第1章での本村洋への同一化の程度は甚だしい。私は別にそれを批判しようとは思わないけれども(藤井は研究者ではない)、ノンフィクションライターとしても結構ギリギリの線を歩いているような気がする。

タイトルが示す通り、本書は「殺された側」に固有の論理があるという前提で編まれている。だが、ざっと読んだ限りでは、その論理を彫り出して見せようとする藤井自身がどういう立場性で以て、どのような「論理」あるいは「倫理」で以て「殺された側」の論理に寄り添っているのかが、ほとんど語られていないように思う。そういう観点からすると、書かれている内容に賛同するかどうかとは別のところで、作品としての本書は完結性を得ていないと言うか、不十分な面が大きい。題された強い言葉を、内容が消化しきれていないという印象を受ける。


「殺された側の論理」がどのような内実を持つものなのか、それ自体も整理された形で提示されているとは言い難いが、目を留めざるを得ない興味深い記述は在る。特に私が強い印象を受けたのは、とにかく「罪」に対して「罰」が下されればよいのだ、という徹底した応報観念だった。


 この流れをどう受け止めるかは立場や思想によって考え方があるだろうが、被害者遺族は一貫して罪に見合った罰を求めているのに対して、「殺した側」が「更生の可能性」を持ち出してきても一方通行になってしまう。

 なぜならば大多数の遺族にとって、加害者の「更生」は(するにこしたことはないが)二の次三の次の問題であって、かつ「真の」更正など期待はしていないのである。もっと言えば「どうでもいいこと」なのだ。私は100家族以上の犯罪被害者遺族の方々に会ってきたが、これが遺族の心情であると断言することができる。

 更生しようが、しまいが、やった罪に対するフェアな罰を望んでいる。更生しているから減刑してもいい気持になるのではないかとか、寛大な処分を司法に求めてもいいという心情になるのではないかというのは、勝手な第三者の想像である。


[45-46頁]


「[地下鉄サリン事件の被害者遺族高橋シズヱの発言]……加害者が反省しているかどうかなんて裁判官にわかるはずがない。どんな犯罪をなしたのかという、事件時の加害行為だけを見て裁いてほしい。……」

[中略]

 2006年、東京高裁は控訴趣意書を期日までに提出しないことを理由に、首謀者・松本智津夫の公判を打ち切り死刑が確定したが、弁護団の主張通りに裁判を引き延ばしていたら、いったい何年かかったのだろうか。だが「事実」を知るということは、社会のためにも必要なことだと私は思う。

 しかし、殺された側から見れば「加害者の本当の気持ちや動機」など知りたくもない場合が多いし、とくに「反省の心」など信用できるはずがないのも当たり前である。

 そもそも加害者の「心」の読み合い合戦をしたところで誰かに真実がわかるのだろうか、という意見ももっともだと思う。それこそが裁判を長引かせているのだ、と。この命題と被害者の権利をどう両立させればいいのか。議論を尽くす必要がある。


[214-215頁]


犯罪の「理解」から、端的な処罰へ。その是非は措くにしても、こうした流れが強いものとなっていることは明らかであろう*1。本書の各所で表明される精神障害者の不可罰ないし減刑を定めた刑法39条への厳しい視線も、この流れと一体である。


ところで、「私は100家族以上の犯罪被害者遺族の方々に会ってきた」から、「これが遺族の心情であると断言することができる」と述べられることは、看過できることだろうか。藤井は、死刑の維持と執行は犯罪被害者遺族共通の望みであるかのように語る中で、犯罪被害者遺族でありながら死刑廃止を訴える原田正治を「例外中の例外である」と断じる。そのような被害者や遺族は「ごくわずか」であり、「100家族以上の被害者遺族を取材した経験がある私は、そのような方にじっさいにお目にかかったことはない」、と(217頁)。何だ、それは。率直に言って、私はイラッとした。犯罪被害者が抱える何らか固有のものを抽出しようとする際に、紛れもなく犯罪被害者の一人である人物の経験と立場を、「例外」の一言で簡単に排除することが許されるのか。「殺された側の論理」を提示する作業とは、多数派の犯罪被害者の立場を一般化して押し出すことを意味するのだろうか。それは身勝手な「第三者の想像」よりも幾分かマシかもしれないが、果たしてどれほどの違いがあるだろう。「100家族以上の犯罪被害者遺族」に会ってきた経験を過小評価するつもりはないが、それが何の保証になるわけでもない。原田のような例外に「お目にかかったことはない」と言う。それでは、原田に会いに行けばよい。なぜ、会わないのか。ここでは、そのことを問わざるを得ない。


少し脱線(?)した。最後に、個人的に最も重要だと感じる点を引いておく。


 仮に「償う」という行為があるとしても、それは殺された側と殺した側の何らかの形での交わりを意味する。それははたして安全なのか。安全は誰が保証するのだろうか、両者の間に介入して調整をする立場の人間はいるのか……。

 加害者が「生きて償う」ことは、殺された側にとってみれば高いリスクを伴うことだということを、私たちは想像してみるべきなのだ。


[220頁]


そう、当事者同士が直に接触することには、大きなリスクが伴う。例えば自力救済としての復讐にせよ、返り討ちにされるリスクは小さくない。裁判という仕組みは、一面ではそういったリスクを縮減する機能を果たしている。確認するが、「裁判」とは、当事者間の紛争に対して第三者的な立場から公権力が裁定を下すことである。国家が裁判を行って加害者を罰するのなら、そうでない場合と比べて被害者が行うことは少ない。被害者が負うリスクも、小さくなる。国家が行う「裁判」なる仕組みの中で被害者の権利を拡充し、また被害者の望みを判決に反映しようとすることは、被害者のリスクを小さく保ったまま、「得られる」ものを最大化しようとすることになる。それが悪いと言いたいわけでは、必ずしもない。ただ、そうした流れの先では国家の影響力がずっと大きいままに保たれ、当事者/利害関係者を主体とした紛争解決という方向性での可能性は育たないだろうな、と。そう思うのである。


以下、参考まで。


被害者及び死刑

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071206/p1

死刑の非論理性、または「罪を憎んで人を憎まず」の(不)可能性について

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20080224/p1


*1:以前、「何も解らないまま麻原を死刑にしてもいいのか」との問いに答えた江川紹子が、「もう十分だ、事実が解明される望みが薄いのにこれ以上時間をかける意味はない」という趣旨のことを述べていたのを思い出した。


Saturday, March 29, 2008

かかわりあいの政治学1――自己決定論をさかのぼる


  自由とは自分のことについての自由であり、自己決定とは自分のことについての決定である。そうでないと意味をなさない。また、他人が自分のことを決めてよいとなったら、むしろ反対の意味になってしまう。
  さて、障害の有無であれ性別であれ、ある性質の子を生まないという決定は、何についての決定か。それは自分のことについての決定ではない。どんな子なら生まれてよいか、どんな子は生まれてこれないかという、他者についての決定である。胎児を殺してならない存在=人だと主張する中絶反対論者の立場に立たなくとも、このことは言える。それは、他者のあり方の決定であり、どんな他者を自らが、そして社会が迎えるかという決定である。自由の尊重とは他者のあり方を勝手に決めてならないということだ。ならば、この行いはむしろ自由の尊重と反対の行いである。
  むろん親は子に強く関係する。しかし、だから子のことをなんでも親が決めてよいとは言えない。また子のことを親が決める権利がいくらかあるとして、少なくともそれを親の自己決定権だとは言わない。こうして、自らの自由、自己決定という論理から、出生前診断・選択的中絶を正当と言うことはできない。

立岩真也「自己決定という言葉が誤用されている」

http://www.arsvi.com/0w/ts02/2004023.htm

「自分のこと」とは何か。自分に関係することだろう。「親は子に強く関係する」。だから、「ある性質の子を生まないという決定」が親にとって「自分のことについての決定ではない」と言うことは、論理的に間違っている。親にとって、「子のこと」の多くは「自分のこと」だ。もちろん、それが「自分のことについての決定」と見做し得るからといって、「子のことをなんでも親が決めてよいとは言えない」。むしろここで問題にすべきなのは、何が「自分のこと」なのかを決するのは「関係」であると一旦捉えたならば、「自分のこと」と「他人のこと」を明確に分けることが困難になるということである。

「子のことを親が決める権利がいくらかあるとして、少なくともそれを親の自己決定権だとは言わない」という文言は、酷く混乱がある。それを親の自己決定権と呼ぶかどうかは、権利の根拠に拠る。そこで想定されている「子のこと」に対して親が強い関係を持っているために親に一定の権利が付与されるのであれば、それはそこでの「子のこと」が親にとって(重大な)「自分のこと」であると認められたからであろう。それを親の自己決定権と呼ばずに何と呼ぶのか。これが、対象となる「子のこと」に対する親の関係とは全く別の根拠(例えば社会一般の利益)に基づいて付与された権利なのであれば、話は別である。

そもそも、決定が下されるべき対象が「自分のこと」であるかどうかと、それゆえに決定する権利を獲得できるかどうかは、別の水準の問題である。「自分のこと」については自分で決定できるべきだというイデオロギーは、事実として広範な支持を得ているに過ぎず、在り得る規範的立場の一つに過ぎない。さらに言えば、「自分のこと」=「自分に関係のあること」は、「関係」の種類や程度によって多様な分布をしており、その中のどれを重視して決定権を付与すべき理由に選ぶのかは、政治的な問題である。選択的中絶を行うかどうかを悩んでいる夫婦の横を通りすがった第三者が、「その子をおろすかどうかは私にとって酷く重要な関心事なので、私に決定させるべきだ」とのたまって「自己決定権」を主張しても、論理的には不整合なところが無い。

別に、センシティブな議論をまぜっかえすつもりは無い。ただ、安易に自己決定権を振りかざしたり、「自己決定権は幻想だ」などと噴き上がってみたりする前に、自己決定権がどういう理路と前提によって成立しているのかを、遡って考えてみるべきだろう。私はそこに「関係」の問題があると見た。「関係」を持ち出すからといって、自己決定は不可能だなどと短慮する輩と一緒にしないで欲しい。自我は社会的に構成されているとか、個人は常に他者との結び付きや社会的文脈に拘束されざるを得ないなどと言ったところで、それは無価値な言い草だ(So What?)。そんな当たり前の前提を持ち出して誰かを批判したつもりになっている様は、本当にくだらないと思う。

個人は社会の中で作り上げられていくとしても、それでも個人として在るのだ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、個人として在るにもかかわらず、「関係」は「自分」のみに留まらず、他者にも伸びて行く。他者を絡め取り、時に叩き付ける。そこに問題を嗅ぎ取るべきだろう。中絶について言えば、決定に対して最も重大な「関係」を有しているのは、子だろうと思う。そして、次に(産む)親。そういう認識は、動かせないだろう。そして、自己決定の原理からすれば、最も決定に対する影響力を有するべきである子の方は、意思すら示すべくもない。つまり彼らには、誰に決定権を与えるべきかという政治闘争における武器となる「権力」が、決定的に不足している。最終的に決定に対する最大の影響力行使(決定権)を認めるべき主体が親に定められがちなのは、この闘争の結果である。

政治だからどう、ということではない。ただ事実として、政治なのだ。それだけのこと。それだけのことについて、「関係」という観点が持ち得る意味の大きさが、今まで見過ごされてきたように思う。いや、「関係」や「かかわり」という言葉を用いて考えた人は掃いて捨てるほど居たが、そのどれもが私の好みや問題意識とは遠い―あまりにも遠い―道徳的に過ぎる所作だった。そういう先達とは違う仕方で、考えてみたい。それは本当に雑然とした形でいいから、「関係」という概念をテコにして、身の回りの問題を考えてみたい。敢えて名付けるなら、「かかわりあいの政治学」――。何だか陳腐だけれども、ひとまずこれをタイトルとして仮置きしておこう*1


*1:シリーズとして継続する自信は到底無い。余裕があれば続き(といっても別のテーマで)書ければいいな。


Tuesday, March 4, 2008

事実が必要とされない理由


死刑や治安悪化言説についても当てはまる現代に共通の問題として、「必ずしも事実が求められていない」ということが挙げられる。求められているのは事実よりも物語であることが多い。死刑の犯罪抑止力を証明する根拠が無いことをいくら説いても、死刑存置派が減ることはなく、治安の悪化を示すデータが見当たらないことをいくら訴えても、治安悪化神話の支配的影響力は衰えない。

もちろん、「事実」を指し示す言説があまり行き渡っていないという面もあるだろう。マスコミの影響力を「主犯」として最も問題視する立場の人々は、その点を強調する。だが、森達也が各所で指摘しているように、マスコミがあるステレオタイプの報道図式を採用し続けるということは、何だかんだ言いつつもそれを求める層、マスコミの紋切型報道を支える土壌が確実に存在しているということである。そういう土壌こそ、マスコミによって耕されたのかもしれない。だが、どちらが先かは一概に言えるものではなく、各種の「神話」は、マスコミによる報道とそれを求め・受容する側との相互作用の中で作られてきたと考えるべきだろう。

そうした循環構造を見ずに一方向的な関係を想定するのは、単に楽観的に過ぎると言うだけではなく、怠惰であると言うべきだろう。マスコミ批判だけを繰り返して事足れりとしている人は(そういう人がいるとしてだが)、置き去りにしておけばいい。私は全くフォローしていないが、「ニセ科学」批判においても、単に「ニセ科学」を批判して「正しい情報」を提示するに留まらず、「ニセ科学」的なものを受容する層の分析に歩を進めていることと思う(きっと、そうだろう)。「事実」なり「正しい情報」なりを提供するだけではなく、土壌を分析しつつ、そこに手を入れていかなければ目的を達成できそうにないという点では、経済政策や社会政策についても同様のはずだ。

それで、「事実が求められていない」件だが、その理由を端的に言えば、今がポストモダンだからである。最近は安直に理解したポストモダン論を一括りに罵倒するような言論が増えているように見えるが、その一因は多分、ポストモダン論に新鮮味が失われたからだろう。なぜ新鮮味が失われたかと言えば、それはポストモダンはもう「来るべき時代」ではなく、今・この時間になってしまったから、目の前にある当然の現実のままになってしまったから、だ。よく勘違いしている人がいるが、「ポストモダン」論と「ポストモダニズム」は違う(「グローバリゼーション」論と「グローバリズム」が違うように)*1。ポストモダン的事態を肯定するか否かにかかわらず、ポストモダンとしての現代を認識することはできる。もちろん、「現代は、過去と比べて「ポストモダン」と呼べるだけの差異を持っていない」という異論はあり得るが、その次元で争うのはここでは止めておこう。「今がポストモダンだ」ということにしておかないと*2、ここで語りたいことが語りにくいから。

語りたいのは、必ずしも事実が求められない理由であり、その理由は「全てが相対化されてしまっているから」ということに尽きる。別に再帰的近代化などと言わずとも、何もかもが相対化され尽くしているのは現代に生きていればわかる。ここ10~15年に生まれた世代にとっては、生まれたときから世界は世界そのものだろう。自分の居る位置を認識するに当たっての視野が、特定の街や国に限られていない。積極的に求めなくても、あらゆる地域・あらゆる分野についての情報が大量に飛び込んでくる。加えて、ビデオカメラやらデジカメやら写メールやらブログやらで、絶えず自己参照・自己言及が強いられる。これでは、相対化を避けろと言う方が無理だろう。居ながらにして、様々に異なったライフスタイルや価値観が自然と目に入る。その時、何かの伝統やイデオロギーを純真素朴に信じる方が難しい。でも、だからこそ、信じられる「何か」が強く欲求される*3。その「何か」に代入されるのが、各種の物語である*4

事実ではなぜダメなのか? 事実は相対化されてしまうからである。我こそは「事実」を知っていると主張する人々は、異口同音にマスコミを「偏っている」として批判するものだ。色んな立場から様々な情報(それも専門的な)が行き交うと、私たちは何を信じていいか分からない。鈴木(謙介)さんが、事実をめぐる論争は結局「情報戦」と化して、一種、不毛なことになる(うろ覚え)みたいなことをどこかで述べていたのも、ここからしてみると理解できる。人は信じたいものを信じる。何を信じていいのか分からないのなら、なおさらである。でも、何のために信じるのか? それはアイデンティティを形作るためだ。全てが相対化されざるを得ない状況の中で、アイデンティティの断片を相互に繋ぎ止めるために、信じられる物語が必要とされるのである*5

「必ずしも事実が求められない」ような事態がもたらされるにあたって、学問の側から一役買った立場を具体的に挙げれば、構築主義/構成主義だろう。その役割が顕著だったのは歴史認識問題で、歴史にとって重要なのは客観的な「事実」なのか、主観的ないし多元的な「物語」なのかについて、左右入り乱れての論争が展開された(ことと思う)。一方で右派(の一部)が、「日本民族」とか「天皇」などといったことは所詮フィクションかもしれないけれども、国民が団結し、国家が統合を得るためには、必要な物語なのだと主張する。他方で左派(の一部)が、たとえ客観的な証拠とは食い違う部分があったとしても、個々の人間の「語り」にはその人にとっての真実が含まれており、それは本人のアイデンティティを構成するとともに、歴史を多元化して豊かにするものだと主張する。「物語」ではない(より)客観的な歴史を希求する立場の人々は、両者から挟撃されることになった。

北田暁大などは、それが右派によっても使われるようになったことを以て、構築主義/構成主義に一つの限界を見出しているようだが、そうした戦略論的・情況論的問題意識からのみ「限界」を突きつけていいものかは疑問である*6。構築主義/構成主義が一つの学問的立場である以上、政治的立場にかかわらずそれを応用できるのは至極当然のことだ。構築主義/構成主義が限界に行き当たったと見做すなら、その理由はむしろ、ポストモダン論と並行して(あるいはその一員として)機能した末に、目の前に在る当たり前のポストモダン=現代に還元されてしまったからだと考えた方がいい。だって、「全てのものは社会的に構築/構成されている」なんて、言われて/言ってみると、とんでもなく当たり前のことじゃないか?*7 So what? 重要なのはその先だろう。そこで「それなら何でもアリだっ!」となって極端な物語を提示したり支持したりするようになるのか、そうでないのか*8

どうも結論が見えて来ないが、現代の社会学者が「アイデンティティ」(と「コミュニケーション」)ばかりを採り上げて論じるのには、それなりの必然性がある。「社会」学が本来「関係」の学だということもあるが、情報の送り手だけではなく受け手固有の問題も重視されなければならない以上、いわゆる「正しい情報」そのものはあくまで前提であって、議論の主旨や目的にはなり得ないのだ(全ての場合がそうだとは言えないにしても)。じゃあ事実が必要とされていないなら、「より良い」物語を普及させればいいのか、それとも、物語云々に拘泥するのを止めて物理的な水準でコントロールを働かせればいいのか、あるいはもっと別の方法があるのか、そういうことは今の私には言えない。ただ、(これは国家論について考えていった場合にも行き着くところだが)例えば宮台真司が「幸福論」とか言い出したり、東浩紀が独特の国家観を示したりすることには、ある種の蓋然性があるということを、あまり見くびらない方がいい*9


*1:東浩紀はこの区別に注意を促していた。

*2:本当は時期/時代の名前は何でもいいのだが。

*3:以下も参照。スピリチュアル的なものとモノ・サピエンス的なもの http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070429/1177836073

*4:ジョック・ヤングは、差異や多様性が称揚されるとともに商品としてパッケージ化され、消費されることを通じて、差異は「本質化」され、アイデンティティとして強調されるようになると指摘している。ジョック・ヤング『排除型社会』洛北出版、2007年、153頁、263頁以下。

*5:代表的な「ニセ科学」とされる血液型言説が、少なくない日本人にとって自己像をまとめ上げるための手段の一つとして用いられているのは示唆的である。

*6:もちろん、北田がこうした観点からのみ限界を見出しているとは思わないが。

*7:もちろん、数の上では、そう考えない人の方が今でも多いのかもしれないけど。

*8:そう言えば昔、「居直り」について論じたことがあったな。

*9:あぁ、こういうふうに鈴木、北田、宮台、東、とその筋ではキャッチ―な名前ばかり出して話すせいで、ある角度から偏見を持って見られるんだろうな。


死刑の現在性



浜井浩一「死刑という「情緒」の前に データでみる日本社会の実情」

芹沢一也「犯罪季評 ホラーハウス社会を読むcase8 変容する権力と死刑の関係」


既に先月号になったが、『論座』2008年3月号から、死刑についての論考二本。
この内、芹沢の連載では、近代以降の死刑の変質を、①矯正を主たる目的とする近代的刑罰観の確立とともに、死刑の存在役割が「矯正不可能な者」を消去する作業に移行していったこと、②それゆえに死刑の執行が公開の場から閉ざされた密室への「退行」を余儀なくされたことによって*1、特色付けている。これは丸々フーコーの描いた図式を用いたもので、以下で採り上げたような宮崎哲哉の発言の補足として読まれるといいだろう。


被害者及び死刑

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071206/p1


矯正不可能だから殺そう、と言うのは、まさしく「死の中に廃棄する」ような権力の働きである。前のエントリで私は罰を「二度と罪を犯さないようにする」ための処置であると定義≒解釈し、そうした前提に基づいて死刑を自己破壊的な刑罰と断じたが*2、これに対しては次のような反論が可能かもしれない。曰く、矯正不可能な犯罪者(異常者)に対しては、二度と罪を犯さないようにすることが「できない」のであって、仮にこれを死刑とせずに収監して矯正の対象としても、矯正が完了してはじめて釈放され得るという論理に従えば、彼は結局死ぬまで釈放されないだろう(実質的終身刑)。「結果」が同じならば、最初から死刑にしてしまって、被害者感情の慰撫に多少なりとも役立てた方が、随分とマシなのではないか?

このタイプの反論は、私が指摘したような死刑の特質(刑罰としての非論理性)を認めた上で成り立ち得る、一種プラグマティックな死刑擁護論だ。重要なのは論理の一貫性よりも別なところに在る、という立場においては素朴な被害者感情慰撫論と共通だが、いわゆる「情緒」へのコミットの度合いでは少し違う角度からの立論として見做せる。これに対する有効な再反論があり得るだろうか。よく解らない。そもそも論理の問題を一旦棚上げにしてしまう(と言うより煮詰め尽くしてしまう)と、後はもう選択の問題、決断の問題、意思の問題に尽きてしまうようにも思える。森達也の暫定的結論も、「私は~したくない」だった。しかし、意思の問題に還元してしまう手前には、未だ考えてみる必要と余地が残されているようにも、思える、ので、どうしたらいいのかな…、というところで留まっているんだが。


*1:しかし、看過できない例外として、アメリカはどうなる?

*2:死刑の非論理性、または「罪を憎んで人を憎まず」の(不)可能性について http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20080224/p1


Sunday, February 24, 2008

死刑の非論理性、または「罪を憎んで人を憎まず」の(不)可能性について


森達也『死刑』朝日出版社、2008年。


死刑について、安易な二項対立や「べき」論に陥らない形で考えを巡らすために、恰好の良書。基本情報は押さえられているし、死刑囚、元死刑囚、被害者遺族、弁護士、裁判官、検事、刑務官、教誨師、政治家など、様々な立場の人間の語りが登場するので、当該テーマにおける現時点での基本書の一つとして扱っても構わないように思える。特徴は、終盤に近づくほど、論理ではなく情緒こそが死刑問題の核心であるという認識が強調されていく点にあり、この認識はほぼ完全に正しいと私は思う。それだけに、そうした認識を強く押し出すまでの過程が過半を占めている本書だけでは、やや物足りないという感も抱かれる。死刑論議の本質を情緒の水準に見出した上で、さらに何を語ることができるのか。著者の継続的な模索が次回作の形で現れることを期待したい。


ここでは特に、以下に引用する部分から触発された考えを書き留めておく*1


 歩きながらふと思いだす。ドイツ生まれのユダヤ人で政治哲学者のハンナ・アーレントは、ホロコーストの実行責任者だったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して、その罪を「凡庸な悪」と形容しながらも、アイヒマンへの死刑執行を肯定した。ただしその理由は、「数百万人の人々を殺したから」ではなく「人類の秩序を破ったから」であると、その著書『イェルサレムのアイヒマン』(大久保和郎訳、みすず書房、一九六九年)で主張した。

 刑事司法における個的な報復を否定した彼女のこの思想は、「許しの反対物どころか、むしろ許しの代替物となっているのが罰である。許しと罰は、干渉がなければ際限なく続くなにかを終わらせようとする点で共通しているからである。人間は、自分の罰することのできないものは許すことができず、明らかに許すことができない者は罰することができない」(『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、一九九四年)に、さらに明確に表れている。つまり「処罰」と「復讐」とをアーレントは徹底して峻別したからこそ、アイヒマンを処刑する理由を、報復ではなく処罰であらねばならないと考えた。

 ある程度の説得性はある。でもある程度だ。もしも「処罰」が「赦し」を意味するのならば、そして「死刑」が「処罰」の一環であると考えるのなら、「死刑」は「赦し」と同義であるということになる。赦しながら処刑する。ここには明らかに論理の破綻がある。[130-131頁]


アレント説が「ある程度」しか正しくない理由を考えよう。思うに、罰することと赦すことに共通の性質を見て、これらと復讐/報復を峻別するまでは、アレントの言うことは当たっている。言葉の意味を遡ってみれば、そのことは解る。「罰する」とは、対象を「こらしめる」ことである。「こらしめる」とは、相手が二度と当該行為をしないようにすること、当該の事態が二度と起こらないようにすることを意味する。他方、「ゆるす/許す/赦す」とは、対象をもう「とがめない」と決めることである。「とがめる」とは、何かについて相手を非難するとか、その責任を追及するなどといったことを意味する。

ここから、処罰と赦しの機能的接続関係が直ぐに知れる。何かの罪を犯した主体は、二度と罪を犯さないようにするための処置を施される(「罰せられる」)が、その処置が遂行されて以後は、過去の罪を採り上げた非難を再び受けないことを期待できる(「赦される」)。罰を与えることで罪は償われたと見做され、赦しが与えられる。したがって、機能面から言えば、処罰とは実質的には赦しに等しい(より正確に言えば、処罰とは赦しが与えられる条件の提供である)。

さて、ここで重要なのは、処罰≒赦しが与えられる「対象」の問題である。つまり、処罰≒赦しは罪を犯した「人」に与えられるのか、「罪」そのものに与えられるのか、という問いだ。答えは明らかに後者であろう。「とがめ」=非難の対象は、人の存在自体ではあり得ず、その人が犯した罪であるとしか考えられない。だから「赦し」は、人ではなく罪に向けられなければならない。同様に、「こらしめ」=再発防止の対象も罪そのものである。したがって、刑罰の目的を不正義を非難することに求めるにせよ、その再発を防ぐことに求めるにせよ*2、罪と人は論理的に分離されなければならない。私たちは、人を罰することができないのだ*3


そして、ここが分かれ道になる。アレント説には一理があるものの、十理ぐらい無い。それは、彼女が刑罰一般と死刑を質的に区別していないからだ。処罰≒赦しは人ではなく罪に対して向けられるものだが、死刑は人そのものを消す。処罰≒赦しの際には罪と人が分離されなければならないのに、死刑は罪と人を串刺しにして葬ろうとする。しかし、罪人の存在を消すことは、二度と罪を犯さないようにすることではなく、「犯せないようにする」ことである。それは処罰ではない。処罰であるためには、その後に「残余」が必要である。それが個別的・自己目的的に完結する復讐/報復ではなく、未来に向かうため(に「なにかを終わらせ」るため)の一般的・社会的手段であるためには、罰の後を生きる者が残されていなくてはならない*4

死刑は罰ではない。死によって罪は償えない。だから、赦しは与えられない。罪人を罪のゆえに葬れば、「もうとがめない」というメッセージの受け手は、永遠に失われる。赦しを受け取る人がいなくなる。死刑に処せられた罪人は、赦されることがない。罪とともに冥界に突き落とされるだけで、罪を抱え続けなければならない。つまり、死刑は罪人に償いの余地を与えない。罪を償わせないままにすること、償いの可能性を摘むことこそが、死刑の特質である。


何かを「償う」ことは、「責任」をどう引き受けるかにかかわっている。これについては、以前、次のように書いたことがある*5


何かあれば責任を取らなければならないものである、という強迫意識は誰にでも植え付けられている。責任とは取るべきもの果たすべきものである、と。そして、そこで想定されている「責任を取る」行為とは、儀式である。しかし、これはあくまで儀式であり、これによって責任を取ったことにしましょう、という取り決めである。そこでは中身は取り残されたまま、形式が合意される。賠償はあくまで賠償であって、過去のそのままの原状を実際に回復するものではない。過去に戻ることもできず、行為/不行為とその結果は常に断絶してしまっている。そこでは「責任(の中身)を取る」ことはできず、儀式(=「責任(の形式)を取る」こと)を行うことで、現在から未来への関係再構築を図る。メディアに限ることはなく、責任とは初めから取れるものではなかったのである。あるいは、そこに何らかの中身を期待するのであれば、それはもはや責任とは異なる何かである、ということになるのかもしれない。

そう考えてくれば、自分が轢き殺した被害者の遺族から「許し」の手紙を受け取ってもなお、毎月遺族に送金し続ける男(「償い」さだまさし)の姿とは、まさしく責任(=形式)に安住せず償い(=中身)を模索し続ける人間の姿だったのかもしれない。


責任って何かね http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20051105/1131175610


死刑は、形式的な意味での償いの可能性を拒否すると同時に、実質的な意味での償いを試み得る主体を消し去ってしまう。それは未来を向いていない。どこかの地点に、留まろうとする。何も終わらせることができない。そう見える。


つまるところ、死刑は刑罰でありながら、罰としての性質を自ら破壊していく、非論理的な刑罰である。死刑が償いの余地を奪う機能を果たすとすれば、それは絶対的に「赦し≒処罰」の思想と対立するとすら言える(「明らかに許すことができない者は罰することができない」)。
では、死刑が存在するのは何故か。被害者及び被害者遺族が自然権として有する「報復権」を、国家が肩代わりしたからと考えるべきなのか。しかし、私は報復権が自然権であるとの見解には与しない*6。そして、あくまで個別的・主観的な問題である復讐/報復は、国家が肩代わりし得る性質のものではない。刑罰は復讐/報復の国家による肩代わりであるとの見方が出て来るのは、刑罰が有する応報的機能の実質的効果としての被害者感情の慰撫が、誤って本質的機能として再解釈された結果ではなかろうか*7
すると今や、死刑の存立根拠は、被害者感情の慰撫を中心とするように思える*8。これは本来、刑罰の結果としてある程度まで副次的に期待できる類の効果であるに過ぎない。それゆえ、論理的には、死刑の存立根拠は失われている。こうして、死刑問題の核心は情緒の水準にあるという「前提」を、私たちは確認することになる。しかし、求められるのは、ここから先の議論なのだ。


さて、最後に付随的な問題を一つ片付けておく。罪人の死によって遂行が確認される刑罰という意味では、終身刑もまた死刑と同じ性質を持っている。ここまでの論理を貫徹するなら、死刑のみならず終身刑も否定されなければならないように思える。それは一般的に言って、受け入れられ得る立場ではないだろう。私自身もやや抵抗感がある。だが、ここまでの論理に不備がないと仮定するなら、この結論を受け入れないわけにはいかない。もとより、刑罰の本質的目的は犯罪予防と再発防止にしかないという私の立場からすれば*9、無条件で死ぬまで自由を拘束し続けるという処置には合理性が無いことになる。十分に更生したとは見做せないとか、再犯の可能性が高いなどといった理由によって拘束を続け、その結果として実質的に終身刑があるのと同じであるという事態はあり得るが*10、どんなに反省しても更生しても社会復帰の可能性が十分でも釈放しないという制度は、採るべきでない。したがって、死刑の代替として終身刑を導入することを求める主張は、支持できない。



*1:なお、死刑をどう捉えるかについては、以下も参照のこと。被害者及び死刑 http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071206/p1

*2:罰することの主意が「こらしめ」―制裁による更生と予防―に、赦すことの主意が「もうとがめない」と決めること―非難の終結―にあるという事実は、刑罰をめぐる問いの核心にかかわっていてとても興味深い。

*3:人を裁くことはできない。裁くことができるのは、罪だけである。

*4:この辺り、上手く言えていないかもしれない。私が抱いているのは、罰の後に―たとえわずかでも―何らかの余地・余白が伸びていることこそが、罰が罰であるための条件ないし基盤になっているのではないか、という少し漠とした感触である。

*5:責任の本質については、以下の方がまとまっている。責任論ノート―責任など引き受けなくてよい http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070122/p1

*6:思想史的裏付けが希薄に思えるためである。

*7:なお、誤解されがちだが、復讐/報復なるものは、罪の応報ではない。「同じ目にあわせてやろう」という類の意思は、応報=非難=「とがめ」の意思とは、全く性質が異なる。

*8:あるいは、一般的観点からの非難の主体たるよりも、被害者への共感・一体化を通じた疑似報復による充足感を欲せんとする一部大衆のための疑似慰撫もこれに加えるべきか。

*9:司法論ノート―利害関係者司法に向けて http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070115/p1

*10:そうした事態を規範的に許容し得るかについては議論の余地があろうかとは思うものの。


Tuesday, January 22, 2008

現代国家とポピュリズム


去年のある時期から、現状認識についてまとまったことを書かなければならないという思いに駆られていて、それは主に社会学的な意味でということなんだが、社会学的な現状認識となると非常に総合的な判断として家族やら経済やら司法やら、色々な分野に目を配らなければならないので、正直いつになるのか分からないと思いながら断片的に本を読んだりメモを取ったりしてきた。それをいつ書けるのか、そもそも書けるのかは今でも不明だが、別の角度から、つまり政治哲学や政治思想史的な見方からは何らかのことを書けるかもしれない。と言うのも、ここ数ヶ月のエントリの中には、断片的にそうした意味でのアイデアが含まれているから。

それは一言で言えば、リベラリズムとデモクラシーという近代的価値観がとにかく浸透し尽くした果てとしてのポピュリズム的状況ということであり、別の側面を捉えれば国家のメタモルフォーゼということでも言える。これは何から言えばいいか。多分、現代日本における「リベラル」から話し始めるのがいいんだろうと思う。私がここで念頭に置きたいのは、藤井誠二や内藤朝雄のことだ*1。彼らは、右派のファナティックなナショナリズムや前近代的な価値観と距離を置きつつ、国家権力を過剰に警戒する左翼を批判する。国家を神聖視することはしないが、国家の果たすべき役割は従来の左翼が考えてきた範囲よりも大きくあるべきだと見積もる(しかも、福祉的分野とは別の方面について)。個人の自由や権利を守るためには、リベラリズム的な伝統に従って国家権力を監視・制限することばかりを考えてきた戦後日本の進歩派とは袂を分かって、国家権力に積極的な役割を担ってもらうべきだと考える*2

そんな彼らに見出せるのは、戦後的な価値観への信頼、戦後の日本が作り上げてきたものへの自信だ。例えば日本国憲法第9条を改正すれば日本は「いつか来た道」を再び歩むことになるといった主張を声高に叫ぶ左翼人士の横を穏やかな笑みをたたえて通り過ぎる時のような「冷静沈着」さが、日本の民衆のマジョリティには備わっているはずだと思う。あるいは、万世一系が云々などといったお伽話を真剣に聞く奴はいやしないよと観測する、そのような民衆への信頼、「庶民はそんなに馬鹿じゃないって」と言わせる漠とした確信――それは私も共有している――が抱かれている。そのように思える*3。つまり、今の日本の民衆なるものは、何だかんだ言っても最終的には国家の権力をある程度の範囲内で随意にコントロールすることができますよ、という信があるのだな。

そういった自信や信頼というものは、基本的には正しい。ただ、そのままでは過信に転ずる。なぜって、民衆へのそういった信頼というものは、いわば「なるようになるし、なるようにしかならんさ」といった一種の諦観=達観とともに在るから緊張感を保ち得るのであって、定点的な立場から単に民衆を信頼していますと言うだけでは直ぐに民衆に裏切られるのがオチだからだ。実際、今・この時点において、それは既に過信かもしれない。と言うのも、私には今の日本社会はポピュリズム的な原理によって動かされている部分が大きいように思えるからだ。ポピュリズム的現象というものが、全体性を失いつつある社会において疑似的な連帯感を湧出させる契機にほかならないというのは、鵜飼健史の(オリジナルとは言い切れないとしても)卓見である*4。社会がポピュリズムによって動くということは、全体社会の代表でもない奴が、「何だかそれらしい」風情で現れ・振る舞うがゆえに、全体社会の代表みたいな顔をして世の中を動かせる地位を手に入れるということだが、そこでの「全体社会」=「私たちみんな」には必ず共通の敵がいて、それが今日では官僚だったりする。

佐藤優『国家の罠』を読んで感じたのは、何だか検察という機関は思いの外「民意」なるものに左右されやすいということであり、それはかなりの程度に民主化された現代的な国民国家における公権力の在り方を現わしている事態にほかならない。これはフーコーが言う「生‐権力」とも繋がってくる話であり、その辺りのことは萱野稔人『国家とはなにか』に余すところなく書かれてあることだが、つまり統治権力が民のために働くということ、民意に仕えることを目的に定めるということが、国家が「国民のもの」になる結果の自然な成り行きなのだと。この方向性をずんずんと進めるとどういうことになるのかと言うと、要は「国民代表」なる機関にフリーハンドを認める余地がずいずいと小さくなっていくことになる。国民代表とはつまり統治を担う人のことで、政治家でも官僚でも裁判官でもいい。彼らが「好きにやれる」範囲をできる限りわずかにしていくこと。領収書を1円から出させるとかご立派な公務員宿舎の利用は許さないとか刑事裁判の場に市民を送り込むとかいった世の流れは、こういう文脈の中に在る*5

この部分はできれば、今日のこれと同じくらいの冗長な書き方を用いた過去のエントリも参照しながら読んで欲しいのだけれど*6、見方によっては、現状はぐんぐん直接制の統治に近づいて行こうとしているとも言える。国民代表に許すフリーハンドの範囲を狭めていくという意味で、だ。本来なら、ある国家の統治を担うということは、私たち一般庶民にはうかがい知れない様なシンボーエンリョなどに基づいて、あまり公にはできないことや法の枠を少うし跳び越えるようなことをすることもあって「然るべき」なのだが、国家権力をひたむきに民主化していくということは、そういった逸脱を許そうとしないことである。同じことを、ナシオン主権からプープル主権への転換が進んでいると表現してもよい。とにかく「私たち」日本民衆は、国家権力を思うさまにコントロールしたがっている。「私たち」の一体性や、その意思=「民意」の在りかなどが明らかならぬままに。何はともあれ、日本国家の舵取りを「私たち」の手に取り戻さなければいけないのだ、との漠とした昂ぶりとともに。

さて、こういった国家観は社会契約説的なそれに由来するだろう。日本では中高生の社会科で何はともあれ一応は社会契約説を叩き込まれることになっているので、何だかんだ言っても皆、国家は私たち国民のためにあるものだと思い込んでいるんだな(社会契約説的なバージョンの道具的国家観)。そうすると、国家そのものが持っている自律性なり独立性なりといったものへの意識は希薄にならざるを得ない。「イデオロギーに囚われている」右翼や左翼には、良くも悪くも国家をそれ以上のものとして観念する想像力が保たれているんだけれども、「良心的な」リベラルさん達には国家固有の原理というものは案外見えにくかったりする。元々リベラリズムなるものは国家権力というものを非常に大きな存在として見て、その制約に精力を注ぎまくる立場のはずなんだが、その発展(堕落?)の過程で何だかやたら国家の仕事に期待するようになってきて、制約すべきところは制約しながら働かせるべきところは働かせるように国家を巧く使うという無闇に難しい課題に喜んで取り組むようになった。そういう課題にはデモクラシーも一枚噛んでいて、それで何だか色んな道程をすっ飛ばして言うと、そんな困難なハンドリングを60年ぐらいかけてそれなりに巧くこなせるようになっているんじゃないかな日本は。という、自信――自己像への信頼――が、今、在る。ように思う。そして、そういった類の自信が、それ自体はポピュリズムとは別のものであるにもかかわらず、ポピュリズム的な現象をさらりと包んで、そつがないように見せてしまったりする*7


なお、この類の話というのはずっと考えていることなのでネタは未だあって延々と書き連ねることができると思うのだが、それではきりが無いし、これはあくまでも現状認識の話で「だから、こうしろ」という結論があるわけでもないので、さしあたり言いたいことを書き散らしたら終わりというタイプのエントリだということは、話の真ん中ぐらいまで付き合った段階で気付かなければいけない。だので、あと一つ言いたいことをぶちまけてさようならだ。

その一つというのは、国家が提供するような公共サービスというものを市場的契約関係によるサービス供給と同一地平で捉えるような態度が広く浸透したら世の中どうなるかということで、これも過去に書いたことに基づく*8。その内容について自らが同意したサービスを、自らが払ったコストに見合っただけの範囲で提供してもらう。コストを払っていないサービスは提供されないし、自らが享受することのないサービスのコストを払う必要は無い。こういった市場的な交換原理が全面化した社会では、いわゆる「社会的なもの」、つまり連帯原理は消滅する。と、そう書いた。しかし、それはロック的な意味での社会契約をとことん具現化したものなんだよ、とも書いた。すなわち、対等に尊重されるべき個々の人格の、自発的な「同意」こそが全ての基礎に据えられるべきである、とそういうことで、この原理に反対する人はリベラルじゃない。もちろん、リベラルさんだって、社会的なものには多少の気を払うのが普通だ(むしろ単に「リベラル」と呼ばれるようなタイプのリベラルさんはそれに専念しているように見えるぐらいだ)。でも、ちょっと普通じゃないぐらいにリベラルたろうとすると(つまりリバータリーアーンに変身するということだが)、強制的に社会的な連帯を担保しようとするよりも、個人の「同意」というものを徹頭徹尾尊重する方が優先されるべきだという考えに行き着く(はずだ)。

肝心なのはここからで、そういうふうに個人の「同意」を何より尊重して、社会的なものを消滅させてでも公共サービスを市場的な水準での契約関係に還元しようとする立場というのは、プープル主権の徹底とも読み替え可能なんだな。つまり、ここでポピュリズムの進展と繋がるわけだ。プープル主権の徹底と言うのは、具体的な「人民」じゃない曖昧な「国民」とか、人民の「同意」によらない国家(国民代表)の差配(それこそ社会的連帯の強行的実現としての所得再分配などのような、ね)をできる限り排して、具体的な「民意」――理想的には直接的な契約締結の意思のような具体性を備えたそれ――に基づいて政治を動かしていくべきだと考える姿勢を指してのこと。もし、ここに解りやすい具体的な問題点を見出すとすれば、政治的無能力者の排除のことが挙げられる。つまり、具体的な「同意」が必要なら、その意思を示す能力を持たない者は、統治なり社会構成なりに関与しようがない。そして実際、社会的なるものが消滅した社会で第一の犠牲になるのはそういった類の人々なのである。恐ろしいことに、極めて具体的な水準で社会契約説――デモクラシーの理想を象徴するとされる神話――に従った社会構成を為そうとすると、常に必ずある一定範囲の人々の滅殺が確定する。全く、上手くいかないものだ。


*1:もちろん彼らに限らないんだが、ここで問題にしたい「リベラル」として彼らが一番イメージしやすいということだ、私にとって。

*2:この辺りについては以下も参照。被害者及び死刑 http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071206/p1。近代的法主体は近代法を解体するのか http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071212/p1

*3:そういった自信は、歴史認識をめぐる中韓の国民による感情的な言動(あるいは最近であれば捕鯨問題をめぐるオーストラリア国民および政府の言動)に比した日本国民の「理性的」な姿勢から一種の優越感を収穫する振る舞いからもうかがえる。要するにそれは、私は諸々のイデオロギーから相対的に自由であり、他者がどんなイデオロギーや利害に囚われているかが割とよく見通せますし、そういった諸要素を勘案しながら現実状況を理性的かつ論理的に分析してみせることができますよ、という自己像を提示ないし希求しているわけで、それ自体は別に批判すべきものではないのだが、何だかいじらしい気もするじゃないか。

*4:鵜飼健史「ポピュリズムの両義性」『思想』第990号、2006年10月。鵜飼健史「ポピュラリティと共同性―政治空間の変容の中で―」『一橋社会科学』第1号、2007年1月。ポピュリズムと対抗政治 http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071101/p1。一橋大学機関リポジトリHERMES-IR http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071126/p1。鵜飼さんの論文は決して解り易くないけれども、読む価値がある。

*5:ところで、佐藤が『国家論』の中で官僚を資本家と労働者から独立した第三の階級として重視するのは、率直に言って自意識過剰なのではないかと思う。佐藤の議論は面白いが、官僚の発生論が伴わなければ説得力を欠く。今・現在、国民のために在ることを約束された国民国家の内部で部分的に私利を貪っている集団が存在する、という程度の認識を超えたことを言うためには、「では、官僚とは元々誰だったのか」との問いに答えねばならない。同書については、以下でも採り上げた。国家論のために http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071229/p1

*6:法外なものごとについて http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071031/p2

*7:これはちょっとばかり悪意に満ち過ぎた見方だろうか。でもまぁ、主観的な意図はともかく、遂行的にはそういった帰結になっていることは確かにあるんじゃないかな。

*8:gated communityとリバタリアニズム http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070711/1184139994


Monday, January 7, 2008

民主主義は裁判員制度を支持しない


2008年を迎えた。次に迎えるのは2009年である。2009年には、裁判員制度の開始が予定されている。裁判員制度は、国民の司法参加の名の下に導入されたものであり、いわば民主主義の理念をその基礎に据えていることになっている。だが実際には、裁判員制度が民主主義理念の実現の一環として推進されるのは、論理の筋を違えた話である。

「民主主義」と言った場合に何を意味するのかは、それによって議論の内容の過半が左右される程に重要である。ここでは、しばしば語られているように、「治者と被治者の同一性」こそが価値理念としての民主主義の内実に当たるものであると考えよう*1。これは要すれば、ある政治的決定から影響を被る者はその決定作成に参与することができるべきである、という考え方である。この考え方を政治分野に限らない決定一般に拡張すれば、その論理の型は、いわゆる自己決定原理と重なる。以上から、統治権力の在り方・用い方について自己決定原理を適用しようとする理念こそが民主主義である、との理解が得られる。

通俗的な民主主義理解においては、それが何であれ、国家が担ってきた仕事の中に一般市民が参入していくことが実現したり、国家権力の運用に市民の手が加わることが可能になったりすれば、民主主義の具体化であると考えられがちである。しかしながら、それは民主主義がいかなる内容を持つ思想なのかということをじっくりと省みて考えた経験を持たない者による、空虚な民主主義礼賛に過ぎない*2。現に、裁判員制度導入の理由として第一に挙げられることが多いのは、「市民の健全な常識」を司法の場に注入できること、という具体性を欠いた意味不明の論拠である。

民主主義の内実を治者と被治者の同一性に求める理解に立つならば*3、複数の主体間で何らかの紛争が生じた場合の解決は、当事者間による交渉か、そこに重要な利害関係者を交えた協議によって図られるのが理想となるはずである。第三者による権威的調停は、自己決定の原理に違背するものであるから、民主主義理念それ自体からは出て来ることのない考え方である。このことは、権威的調停に携わる第三者が専門性を備えた官僚裁判官であろうが、無作為に抽出された一般市民であろうが、変わることは無い。ここから、裁判員制度を民主主義によって基礎付けようとする論理の無理が、直ちに理解されるだろう。

無作為抽出の市民は、裁判の対象となる事件の利害関係者ではなく、選挙によって選ばれた代表者でもない。第三者性において官僚裁判官と等しく、専門性において官僚裁判官に劣り、代表性を帯びることもない*4。そうした立場の人間が司法権力の行使に携わることを正当化する余地は、少なくとも民主主義理念の観点からは存在しない。裁判員制度を価値理念としての民主主義から導出したり正当化したりすることは、論理的な不可能事である。

では仮に、裁判官を選挙で選ぶことにする、という司法制度改革案であったとしたら、話は違っただろうか。同じ国民の司法参加を掲げるにしても、選挙を経た代表者が司法権力の行使に携わるのなら、それは民主主義理念の具体化として正当化できるのではないか。だが、そもそも特定の個別的紛争を扱う裁判の場での決定は、広範な人々に影響を及ぼすことが一般的である政治的決定とは性質が異なるため、地理的に区切られた選挙区から選出された代表が裁きを下すべき理由は乏しい。政治的決定とは異なり、判決によって影響を被る「被治者」の範囲は、より限定されている。民主主義の理念を司法分野に適用するならば、地域の代表者が裁きを下すよりも、当事者中心の紛争解決を専門性の備わった第三者が支援する制度の方が、より理想的である。

結局、民主主義理念は裁判員制度を支持しない。ここでは、裁判が迅速化するとか、難解な専門用語が解り易くなって裁判が身近なものになるとか、口頭主義によって調書偏重が正されて従来の99.9%の有罪率が維持できなくなるとか、市民の社会運営に対する責任の自覚が促されるなどといった、その他の制度推進理由については触れないことにする*5。だが、それらのいずれも、裁判員制度を支持する理由としては不足であると思う。私には、裁判員制度を導入すべき積極的な理由が見出せない。もし、私が間違っているか、民主主義理念の理解を違えるかで、民主主義の観点から裁判員制度を導出ないし正当化することは可能であると考える人がいるならば、是非ご教示願いたい。実際、多くの国で陪審制や参審制が用いられているという事実は、民主主義理念の異なる理解の仕方の所在をうかがわせる。


なお、司法制度全般についての私の考え方は、以下の①にまとめてある。また、誰が決定を下すべきなのかという問題を考えるための整理として、②が多少は役に立つことがあるかもしれない。


①司法論ノート―利害関係者司法に向けて

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070115/p1



②政治過程または一般的決定過程におけるステージ・アクター・評価

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070909/1189335617



*1:こうした理解は私見とは異なる。私自身は、民主主義理念の中核を占めるものは「自己決定の最大化」を積極的に肯定する思想であり、それは治者と被治者の同一性原理とは相容れないと考えている(この点については、私の学士論文「利害関係者の討議と決定」第3章第2節を参照。より詳しくは、近日提出予定の修士論文「利害関係理論の基礎」補論で論じている)。しかし、いずれの理解を採っても民主主義理念は裁判員制度を支持することは無いので、ここでは問題にしない。

*2:『裁判員制度』の著者である丸田隆は、国民が選挙に参加することは「主権の行使の一つ」であると述べているが(丸田隆『裁判員制度』(平凡社:平凡社新書、2004年)46頁)、ここから裁判員制度推進論者の民主主義理解の程度が概ね知れる。単一不可分の主権は国民一人一人には分有されず、選挙による代議士の選出が、主権の行使の在り方を定める一般意思の形成のための一過程に過ぎないものであることは、憲法学・政治理論において常識に属する。国民一人一人は主権を行使することはできず、ただ行使の過程に部分的に参与することができるのみである。無闇に民主主義や国民主権を謳う人間ほど、その観念の理論的実態について知ることが少ない。ひとまずルソーの『社会契約論』だけでも読むべきだろう。

*3:政治理論においては、こうした理解は比較的一般的なものである。

*4:厳密には代表と言えるものではないが、選出されるメンバーの社会的属性を当該地域・集団の社会構成に近似させることで代表性を代替する方法(いわゆる「社会学的代表」)も主張し得る。だが、6名の裁判員の中でそれを為すことは現実的ではないだろう。

*5:最後の推進理由については過去に批判したことがある。責任と自由―2.必要と負担 http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20060921/1158839150


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