Friday, December 27, 2013

2013年の政治思想


大仰なタイトルに見えますが,昨年の試みを継続して,政治思想史・政治理論分野での収穫を簡単に振り返ってみるというだけのことです.内容に踏み込んだコメントを付す力量はありませんので,あくまで表層的なまとめに徹します.


さて,昨年同様に教科書・概説書から入るなら,まずは宇野重規『西洋政治思想史』有斐閣(有斐閣アルマ Basic)の刊行が目を引きます.西洋政治思想の通史としては川出/山岡『西洋政治思想史』が昨年出たばかりですが,単著の通史はしばらく現れていませんでした.やはり昨年に川崎/杉田 (編) 『現代政治理論』新版が出ていますので,これでテキストはかなり充実を見たはずです(残るは日本/東洋政治思想史でしょうか).なお,同著者による宇野重規『民主主義のつくり方』筑摩書房(筑摩選書 76)は,現代民主主義の可能性をプラグマティズムに見出そうとする卓抜なエッセイです.

刊行中の古賀敬太 (編) 『政治概念の歴史的展開』晃洋書房は,5巻6巻が出ました.さらに続刊が予定されているようなので,来年初頭から刊行が開始される岩波講座「政治哲学」全6巻と併せて,この分野の基礎がさらに厚みを増すことになりそうです.政治を根本から思考する上では,杉田敦『政治的思考』岩波書店(岩波新書 新赤版1402)も長く読まれるでしょう.

同書と同じく年頭に刊行されたものとしては,鈴木健『なめらかな社会とその敵――PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論』勁草書房や,市野川容孝/宇城輝人 (編) 『社会的なもののために』ナカニシヤ出版が話題になりました.いずれも以前から続くそれぞれのトレンド(「一般意志2.0」,「社会(的なもの)」)を継ぐものでしょうが,年後半になって後者と関心が通底する重田園江『社会契約論――ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』筑摩書房(ちくま新書 1039)が出版されたことは,トレンドのさらなる持続を示すものでしょうか.

入門書に戻ると,仲正昌樹 (編) 『政治思想の知恵――マキャベリからサンデルまで』法律文化社が若手中心の書き手で構成されており,新鮮かもしれません.同編者による仲正昌樹『カール・シュミット入門講義』作品社は,いつもながらの簡便な整理です.関連で蔭山宏『崩壊の経験――現代ドイツ政治思想講義』慶應義塾大学出版会は,より広く19~20世紀のドイツ政治思想を扱っています.また,権左武志『ヘーゲルとその時代』岩波書店(岩波新書 新赤版1454)は硬質なヘーゲル入門(以上?)として必携です.

昨年は理論系の研究書を多く紹介したように思いますが,今年は新書・選書レベルも含めて,思想史分野での収穫が豊富だったのではないでしょうか.サントリー学芸賞も受賞した将棋面貴巳『ヨーロッパ政治思想の誕生』名古屋大学出版会に,木村俊道『文明と教養の〈政治〉――近代デモクラシー以前の政治思想』講談社(講談社選書メチエ 561)鹿子生浩輝『征服と自由――マキァヴェッリの政治思想とルネサンス・フィレンツェ』風行社の三冊は,中世から初期近代を知る上で必読のことと思います.翻訳としては,エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』山上浩嗣 (訳), 西谷修 (監修), 筑摩書房(ちくま学芸文庫 ラ-11-1)が目を引きます.田中秀夫『近代社会とは何か――ケンブリッジ学派とスコットランド啓蒙』京都大学学術出版会田中秀夫『啓蒙の射程と思想家の旅』未来社は,碩学による研究集成.関連する翻訳として,J. G. A. ポーコック『島々の発見――「新しいブリテン史」 と政治思想』犬塚元 (監訳), 名古屋大学出版会も出版されました.

一方,若手による川上洋平『ジョゼフ・ド・メーストルの思想世界――革命・戦争・主権に対するメタポリティークの実践の軌跡』創文社は貴重なメーストル研究.同じく小畑俊太郎『ベンサムとイングランド国制――国家・教会・世論』慶應義塾大学出版会は,ベンサム政治思想の理解に欠かせなくなりそうで,フィリップ・スコフィールド『ベンサム――功利主義入門』川名雄一郎/小畑俊太郎 (訳), 慶應義塾大学出版会と併せて読みたいところ.イギリス関連では平石耕『グレアム・ウォーラスの思想世界――来たるべき共同体論の構想』未来社のほか,論文集として佐藤正志/ポール・ケリー (編) 『多元主義と多文化主義の間――現代イギリス政治思想研究』早稲田大学出版部が,翻訳としてマイケル・オークショット『政治における合理主義』増補版, 嶋津格/森村進 (訳), 勁草書房マイケル・オークショット『歴史について、およびその他のエッセイ』添谷育志/中金聡 (訳), 風行社が目立つところでしょうか.

アレント研究では小山花子『観察の政治思想――アーレントと判断力』 東信堂が,フーコー研究では箱田徹『フーコーの闘争――〈統治する主体〉の誕生』慶應義塾大学出版会が出ました.特に後者は,後期フーコー研究の現時点での到達点として注目されます.神島裕子『マーサ・ヌスバウム――人間性涵養の哲学』中央公論新社(中公選書 17)は,現代アメリカの著名な哲学者に関する日本初のまとまった紹介です.

日本政治思想では,河野有理『田口卯吉の夢』慶應義塾大学出版会尾原宏之『軍事と公論――明治元老院の政治思想』慶應義塾大学出版会大田英昭『日本社会民主主義の形成――片山潜とその時代』日本評論社などが主だった研究書でしょうか.ほかに目立つところでは,堀真清 (編) 『原典でよむ日本デモクラシー論集』岩波書店(岩波現代全書 6)三谷太一郎『大正デモクラシー論――吉野作造の時代』3版, 東京大学出版会三谷博『愛国・革命・民主――日本史から世界を考える』筑摩書房(筑摩選書 72)苅部直『秩序の夢――政治思想論集』筑摩書房都築勉『丸山眞男への道案内』吉田書店など.

もちろん理論系の著作も出ています.主権,代表,ポピュリズムなどを扱った鵜飼健史『人民主権について』法政大学出版局(サピエンティア 31)は筆頭でしょう.デモクラシー関係では,ジョン・ギャスティル/ピーター・レヴィーン (編) 『熟議民主主義ハンドブック』津富宏/井上弘貴/木村正人 (監訳), 現代人文社や,ジョン・キーン『デモクラシーの生と死』上下巻, 森本醇 (訳), みすず書房が翻訳されました.また昨年の『コミュニタリアニズムのフロンティア』に続いて,同編者による菊池理夫/小林正弥 (編) 『コミュニタリアニズムの世界』勁草書房が刊行.リバタリアニズムの側では,森村進『リバタリアンはこう考える――法哲学論集』信山社(学術選書 109)がまとめられています.ほかに,スーザン・M. オーキン『正義・ジェンダー・家族』山根純佳/内藤準/久保田裕之 (訳), 岩波書店や,ナンシー・フレイザー『正義の秤――グローバル化する世界で政治空間を再想像すること』向山恭一 (訳), 法政大学出版局が翻訳.フランシス・フクヤマ『政治の起源――人類以前からフランス革命まで』会田弘継 (訳), 講談社上巻が出版されました.

国際政治思想では,新書ながら松元雅和『平和主義とは何か――政治哲学で考える戦争と平和』中央公論新社(中公新書 2207)をまず挙げるべきでしょう.平和主義についての詳細な議論整理であり,このテーマを考える上では欠かせない本になるはずです.研究書としては大原俊一郎『ドイツ正統史学の国際政治思想――見失われた欧州国際秩序論の本流』ミネルヴァ書房(MINERVA 人文・社会科学叢書 189)清水耕介『寛容と暴力――国際関係における自由主義』ナカニシヤ出版押村高『国家のパラドクス――ナショナルなものの再考』法政大学出版局中山俊宏『アメリカン・イデオロギー――保守主義運動と政治的分断』勁草書房など.翻訳ではモーゲンソー『国際政治――権力と平和』, 原彬久 (監訳), 岩波書店が刊行中です.


以上,ほぼ単なる羅列になりました.今回は翻訳も含めてみましたが,やはり網羅的にやっても際限がなくなるだけなので,来年以降はまたやり方を考えたいと思います.

それでは,よいお年を.


※追記(12/28): 12月に出版された2点を付け加えておきます.安達智史『リベラル・ナショナリズムと多文化主義――イギリスの社会統合とムスリム』勁草書房は,近年のトレンドの一つであるリベラル・ナショナリズム論を具体的な政策レベルで検討したもの.レオ・シュトラウス『自然権と歴史』塚崎智/石崎嘉彦 (訳), 筑摩書房(ちくま学芸文庫 シ-33-1)は話題の翻訳です.

Wednesday, December 18, 2013

自主ゼミ #2013-19



  • 議論内容: 
    • ポピュリズムと全体主義の違いについて.
    • 要求の多元化による政治的争点の不明瞭化,について.
    • 決して到来することのない未来,について.

  • 次回予定: 今年度は終了.来年度は一旦お休み.

Wednesday, December 11, 2013

自主ゼミ #2013-18



  • 議論内容: 
    • 普遍主義と原理主義の関係について.
    • 普遍性の特殊性による「汚染」について.
    • 政治的なるものと現実政治の共犯関係(国家論・デモクラシー論)について.

  • 次回予定: 同書, 4-終章.

Wednesday, December 4, 2013

自主ゼミ #2013-17



  • 議論内容: 
    • 著者の「リベラル」理解の妥当性(「共生」と自律の関係)について.
    • ナショナルな単位を特権化することの妥当性(多言語状況や生得文化をはじめとするローカルな文脈との関係)について.
    • 政治的コミュニケーションの捉え方(その不可避性・予測不可能性)について.
    • 等々.

  • 次回予定: 鵜飼健史 [2013] 『人民主権について』法政大学出版局, 序-3章.

Sunday, November 17, 2013

御礼: 何 [2013]


  • 何鵬挙 [2013] 「「中心」と憲政の妙用――大隈重信の中国憲政論」『法政大学大学院紀要』71: 159-181.

著者の何さんから,抜き刷りを頂戴しました.ありがとうございます.

あまりよく知らないところでありますので,しっかり勉強させて頂きます.

昨日の研究会といい,着実に研究を積み上げていらっしゃる何さんにはいつも刺激を受けております.

Wednesday, November 13, 2013

自主ゼミ #2013-16



  • 議論内容: 
    • (シオニズム運動の規定要因としての)「主観的文脈」の「客観的文脈」および具体的思想・主張との切り分けについて.
    • ロシア・シオニストにおけるナショナリズムの「非本質性」,およびそこからのナショナリズム論批判について.
    • 「社会(性)」概念の意味について.

  • 次回予定: 白川俊介 [2012] 『ナショナリズムの力――多文化共生世界の構想』勁草書房, 序-4章.

Wednesday, November 6, 2013

自主ゼミ #2013-15



  • 議論内容: 
    • 「客観的文脈」に対する「主観的文脈」を捉えるにあたっての方法上の困難について.
    • 「集団内アイデンティティ」に対する「集団間アイデンティティ」の意味について.
    • シオニズムの駆動要因としての,ユダヤに固有な経験・意識の退け難さについて.

  • 次回予定: 同書,3-終章.

Wednesday, October 30, 2013

自主ゼミ #2013-14



  • 議論内容: 
    • 主権概念の形式化.主権とリアリズムの緊張関係について.
    • ポストモダンな主権批判の失当性について.
    • 保護する責任論の理論的含意について.

  • 次回予定: 鶴見太郎 [2012] 『ロシア・シオニズムの想像力――ユダヤ人・帝国・パレスチナ』東京大学出版会, 序-2章.

Sunday, October 27, 2013

政治と理論研究会 第13回


下記の要領で研究会を開催します※終了しました.

参加希望の方は,kihamu[at]gmail.com まで予めご連絡下さい.

なお,本研究会は法政大学大学院政治学専攻委員会と共催です.



    • 報告者:今橋大輝 (法政大学)
    • 報告題名:「政治的な生のスケッチ」

    • 報告概要(予定):

       ヨーロッパの思想史において,法は,宗教や伝統的な慣習,自然法則といった,生きている人間には変更不可能なものではなくなり,逆に,生きている人間が自らの意志によって打ち立て,変えてゆくことができるものとなった.このような主張を軸に,本発表は,法,意志,そして現代の私たちの政治における「議論しえないもの(生命)」について論じることを試みる.政治と思想をどのように生きるのかについてのひとつの試論.

    • 討論者:大久保歩 (東京大学)





政治と理論研究会 第12回


下記の要領で研究会を開催します※終了しました.

参加希望の方は,kihamu[at]gmail.com まで予めご連絡下さい.

なお,本研究会は法政大学大学院政治学専攻委員会と共催です.



    • 報告者:何鵬挙 (法政大学 博士後期課程)
    • 報告題名:「自民党政権時代における立法過程についての再検討――中日比較という視点から」

    • 報告概要(予定):

       本報告では,自民党政権時代(一党優位期から連立期まで)の立法過程を法案の起草,与党審議,議事運営,審議過程の四つのサブ過程に分け,新制度論の観点から中国の立法過程との比較分析を行うことによって,立法過程が持った政治的意味を明らかにする.政権党が政権の維持・強化のために公式なルールの改正や非公式な慣行の形成を主導するとの仮説が正しいとすれば,政党システムが競合的であるか非競合的であるかにかかわらず,制度構築に影響力を保持する政権党の地位が長期にわたって維持された場合,構築される制度は似通ったものとなるであろう.報告ではこの仮説を検証し,制度の違いが存在するならば,それはどのような要因から説明できるかを検討する.さらに,その検証結果を踏まえて,自民党の政権陥落の背景についても考察を加えたい.

    • 討論者:山口希望(法政大学 博士後期課程)



Wednesday, October 23, 2013

自主ゼミ #2013-13



  • 議論内容: 
    • 主権概念の開かれた定義に基づく方法論上の問題について.
    • 主権と主権者の歴史的分離について.
    • 主権概念をめぐるイギリスとアメリカの議論文脈の差異について.

  • 次回予定: 4-終章.

Wednesday, October 9, 2013

自主ゼミ #2013-12



  • 議論内容: 
    • 「国際政治化/国内政治化への疎外」について.
    • ネグリの「共」について.対抗的暴力について.

  • 次回予定: 篠田英朗 [2012] 『「国家主権」という思想――国際立憲主義への軌跡』勁草書房,序-4章.

Wednesday, October 2, 2013

自主ゼミ #2013-11



  • 議論内容: 
    • 「政治的なものI」(領域化の政治,領域的政治性)と「政治的なものII」(敵対化・集合化・統合化,敵対的政治性)の相互規定関係について.
    • 主権・生権力・承認する権力の「デカップリング」について.

  • 次回予定: 同書,5-終章.

Thursday, September 26, 2013

御礼: 今橋 [2013]


  • 今橋大輝 [2013] 「ドゥルーズのニーチェ解釈――「主人と奴隷」の観点から」『哲学年誌』(法政大学大学院人文科学研究科哲学専攻), (44): 1-22.

著者の今橋さんから,所収の号を頂戴しました.ありがとうございます.

ヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」とニーチェの「貴族道徳と奴隷道徳」という二つの言説の対比から,ドゥルーズによるニーチェ解釈を読み解く内容になっています.

個人的には,「解放者としてのニーチェ」像をシュティルナーとの関係という論点に引き付けながら,興味深く拝読しました.

Tuesday, September 24, 2013

自主ゼミ #2013-00


2013年度後期の自主ゼミでは,予定(カール・シュミット『大地のノモス』)を変更し,最近刊行された政治思想分野の研究書を中心に読んでいきます.

対象文献と各回の振り分け(予定)は以下の通り.時間は毎週水曜15時から.会場は法政大学大学院棟です.

初回は10月2日(水)となります.参加をご希望の方はkihamu[at]gmail.comまでご連絡下さい.部分的な参加でも歓迎しております.



  • 各回構成(予定)
    • #11: 山崎 [2012: 序-4章]
    • #12: 山崎 [2012: 5-結章]
    • #13: 篠田 [2012: 序-4章]
    • #14: 篠田 [2012: 5-終章]
    • #15: 鶴見 [2012: 序-2章]
    • #16: 鶴見 [2012: 3‐終章]
    • #17: 白川 [2012: 序-4章]
    • #18: 白川 [2012: 5‐終章]
    • #19: 鵜飼 [2013: 序-3章]
    • #20: 鵜飼 [2013: 4-終章]

Saturday, August 10, 2013

東京法哲学研究会


東京法哲学研究会8月例会(於:法政大学現代法研究所)にて,研究報告をさせて頂きました.

論題は「ステークホールディングの理論的再構成――福祉ガバナンスの規律を中心に」ということで,ステークホルダー資本主義,ステークホルダー・グラント,財産所有デモクラシーなどについて.

異分野の徒の拙い発表にもかかわらず,温かく迎え入れて下さいました.

ご関心をお持ちの方は,kihamu[at]gmail.comまでご連絡頂ければ,報告資料をお送りします.

Wednesday, July 31, 2013

財産所有デモクラシー(Property-Owning Democracy)についてのメモ


ふと思い立ったので,とあるリバタリアン系ブログに掲載された財産所有デモクラシーをめぐる記事をメモしておきます.


これらの記事の発端になっているのが以下の本で,イギリスにおける財産所有デモクラシー論の水脈からロールズにおけるそれまで,包括的にまとめられています.

  • O'Neill, Martin and Williamson, Thad (eds.) [2012] Property-Owning Democracy: Rawls and Beyond, Wiley-Blackwell.


ロールズの財産所有デモクラシーについての日本語での概説は,以下が簡便です.

    • ※収録→ 渡辺幹雄 [2007] 『ロールズ正義論とその周辺――コミュニタリアニズム、共和主義、ポストモダニズム』春秋社, 4章.


より最近の研究としては,以下などがあります.

  • 大澤津 [2011] 「分配の原理と分配の制度――ロールズの財産所有制民主主義をめぐって」『政治思想研究』(11): 279-307.

気が向いたら追記するかもしれません.

Saturday, July 20, 2013

選挙には行かなくてもよい


選挙が近づくと,みんな投票に行けとうるさくなります.しかし選挙権は権利です.行使することもしないこともできるのが権利です.だから投票には行ってもいかなくてもよいのです.

こういうことは昔,「投票自由論」という記事にまとめたことがあります.そこで書いたことは繰り返しません.

ここでは駒崎弘樹さんが昨年書かれた,「選挙に行かない男と、付き合ってはいけない5つの理由」という記事を採り上げます.あまりに暴論なので当時は論及を控えたのですが,政治学者のなかにもこのような暴論をもてはやす人がいるのを見るにつけ,批判しておく必要を感じました.主張は5点+まとめにわたっているので,それぞれに触れます(なお,当該記事へ寄せられたコメント等の反響はあまりチェックしていないので,重複があるかもしれません).


  • 1. 選挙に行くのを面倒がる人は子どもをどこにも連れて行かないか

根拠がないです.投票に行くことの効用と自分の子どもを遊びに連れて行くことの効用は違うでしょうから,前者をしないから後者もしないだろうという予測には何の確からしさもありません.

  • 2. 「どこに入れても同じ」とは読解力の問題か

読解力に問題がある人もいないわけではないでしょうが,こういうことを言う人の多くは,どの候補者・政党に投票しても日本の政治や自分の生活は良くならないといった趣旨を含意しているのではないでしょうか.あるいは,もっと別の可能性もあるかもしれません.ここで駒崎さんは,(仮想的な)発話者の思考を意図的に矮小化しています.政治家がよく使う手法ですが,(戯画的な類型化を伴いながら)不当に子ども扱いをして人格を貶めるこの言説は,許されるべきではありません.

  • 3. 選挙がよく分からないと仕事もできないのか

当然そんなわけないです.根拠がありません.仕事関係で人が調べ物をするのは,それを必要だと認識しているからでしょう.選挙についても同じ認識がある人は仕事同様に調べるコストをかけるでしょうが,認識が違う人はわざわざ調べません.それだけのことです.

また,仕事や他の用事(介護や育児など)で忙しいために調べるコストをかけたくても十分にかけられない人もいるでしょう.政治や選挙のことをよく分からないと発言しただけで,なぜ仕事ができない人の扱いを受けなければならないのでしょうか.

身近な地方政治のことでも詳しく知っている人の方が少ないと思いますし,それを小手先で仕入れた情報を盾に「分かったふり」をしている人のほうが余程信用に足らない可能性もありますし,そもそも「分かったふり」をするかどうかは投票と無関係です.分からないのは悪いことではないですし,分かろうとする必要も感じないなら無理に調べなければならない理由もないです.人生には他にも重要なことが沢山あるでしょう.

  • 4. 「期日前投票を知らない→インターネットを使えない→労働市場的に無価値」なのか

この点に関しては意味不明なレベルですが,期日前投票の存在は知っておいた方がいいと私も思います.でもそれは(当該記事の文脈で言えば)彼女が教えてあげればいいのではないでしょうか.それから,若い若くないに関係なく,今でもインターネットを使わずにする仕事というのはいくらでもあると思います.もちろん使えるに越したことはないのでしょうが,使えなければ「未来はない」ので別れた方がいいというのは,これは端的に(能力、職業への)差別なのではないでしょうか.

  • 5. 政治家を信頼していない人は他人をレッテルで判断する人か

駒崎さんのこの記事全体が,「選挙に行かないヤツはこういうヤツに違いない」という根拠なきレッテル貼りのオンパレードなのですが,そのことはどう考えておられるのでしょうか.政治家がひとくくりにできないように,選挙に行かない人もひとくくりにするべきではないでしょう.ナンセンスです.

それとは別に,政治が悪さ加減の選択であるとするなら,政治家一般が信頼できなくてもよりマシそうな候補者・政党を選ぶのがよりよい選択なのだと私も思います.でも,どうしてもどの選択肢も信頼できないときに棄権といった選択をする人がいても,それは責められないだろうとも思います.少なくとも,恋人を属性だけで選ぶような人間だといった不当な決めつけで人格を貶められてよいだけの理由など存在しないでしょう.

  • まとめ. 選挙に行かないことは将来への無関心を意味するか

これも根拠ないです.選挙に行かないことだけをもって,なぜ社会や恋人や子どもの将来に関心がない人間だという判定をされなければならないのか.なぜ選挙だけにそこまでの特権的意味を与えるのか.不自然です.これは全然あたりまえな考え方ではありません.これは投票行為そのものを何かの免罪符にする考え方です.逆に考えてみて欲しいのですが,会社やら労働組合やらの動員によって決められた候補・政党に投票した人は,それだけで何か未来への責任を果たしたことになるのでしょうか.投票していない人よりも社会や恋人や子どもの未来を真剣に考えている証になるのでしょうか.そんなわけないです.

選挙だけに特権的な地位を認める考え方は止めるべきです.選挙以外にも政治参加の方法は沢山あります.それはデモやロビイングだったり,政策提言や言論活動だったり,訴訟だったり,あるいは消費活動を通じたものだったりするかもしれません.住まいや地域の活動への参加も政治参加でありうるでしょう.何らかの理由で選挙に行かなかった人でも,さまざまな別の方法を通じて,選挙に行った人よりも一層積極的な政治参加をしている可能性もあります.民主政治の帰趨に対する私たち一人一人の責任も,その多元的な経路の隅々に染みわたって現れてくるものだと思います.少なくとも,選挙に行かなければまともな大人ではないといった趣旨でもって展開される言説戦略は妥当なものではなく,拒絶されるべきです.

Thursday, July 18, 2013

カフカの背中――ベンヤミンとアレントの読解から


フランツ・カフカの短篇「判決」では,老いた父が息子ゲオルクに裁きの鉄槌を下す.息子はベッドの上に立って判決文を叩きつける父を見上げながら,さまざまなことを思い出し,考えつく.しかし,全てすぐに忘れてしまう.「いつもゲオルクは何でも忘れるのだった」(K27).息子は判決に従い,自ら身を投げる.そうするほかにはなかったのであろう.「忘却は解放の可能性をこそ襲うからだ」(B52).

なぜ裁きは下されねばならなかったのか.告発するものがいるからである.「人間が犯した古い不正である原罪は、人間が、自分には不正がおこなわれた、原罪が犯されたのは自分においてなのだ、と非難してやまないところに、在る」(B12).子は親の原罪を咎める.その告発が罪なのである.もっとも,「咎めることは誤りだから罪なのだ、という結論をカフカの定義から引き出すこともできない」(B13).告発は当を得ており,かつ有罪なのである.したがって訴訟は「永久に続く」(同).裁きが下されないためには告発が,すなわち正当な訴えが取り下げられなければならないだろう.必要とされているのは忘却である.

システムが機能するためには忘却が要請される.あるいは機能性が忘却を生み出す.知りえないこの機能性の体系全体の「一切を真実として受け入れる必要はないからだ。それは必然として受け入れなければならない」(A97).「必然性のために嘘をつくこと」(同)が,神秘に包まれた自明性の秩序(運命、祝福、呪い)をつくり出し,強化し,それ以外の可能性を思わせなくなるからである.このとき,誤謬の可能性もまた忘却される.「間違えることは仕事をなくすということなのである。それゆえ、彼は間違う可能性を認めることすらできない」(A104).

忘却の儀礼に則らない者は狂人とされ,やはり罪人の烙印を押される.みなが自らの「生まれながらの権利」を忘れている――忘れることを余儀なくされている――ところでそれを要求することは,端的にスキャンダルなのである(A100-101).「すべてのひとがそれについては生まれながらの権利をもっているようなことにしか興味をもっていない」K,「生活するうえで不可欠のものを」不遜にも欲する『城』のKには,死しか待っていない(同).必然性に抵抗しえなかった『審判』のKとは異なってその死に恥辱が伴わないとしても,そうなのである.

カフカは,「自分に与えられたままの世界(その安定性は私たちが「それを平和のままにしておく」かぎりでのみ存在する)を好まなかった」(A110).カフカは必然性に抗った.必然性とは,「息子におぶさっている」父であり(B12),われわれの背中に課せられている重荷である.「カフカにあっては昔から、何かが背中にのしかかっている」(B48).カフカは日記に書きつける.「眠りこむためにはできるだけ重くするのが良いと思って、ぼくは両腕を交差させ、両手を肩の上におしつけた」.「ここでは重荷を負うことが、忘却と――眠るものの忘却と――見やすく結びつけられいる」(同).重荷と忘却,そして判決の円環.この「環のそとへ脱け落ち」る可能性が認められるのは,虫や動物,せむしのこびと,助手や従者といった,多種多様な異形の者,あるいは周辺的人物たちである(B17).

これらが何を指すのかを明証する術はなく,解放の可能性がどのように回復されうるのかも知ることができない.ヴァルター・ベンヤミンはそのカフカ論をこう結んでいる.乗り手を失った馬は,彼の乗り手よりも長生きした.「人間であるか馬であるかは、重荷が背中から取り除かれさえするならば、もはや、さして重大なことではない」(B58).


  • K: カフカ, フランツ [1914=2007] 「判決」, 丘沢静也 (編訳) 『変身/掟の前で 他2篇』光文社(光文社古典新訳文庫 カ-1-1), 7-30頁.


  • B: ベンヤミン, ヴァルター [1934=1994] 「フランツ・カフカ」, 『ボードレール 他五篇――ベンヤミンの仕事2』野村修 (編訳), 岩波書店(岩波文庫 赤463-2), 5-58頁.


  • A: アーレント, ハンナ [1944=2002] 「フランツ・カフカ 再評価――没後二十周年に」, 『アーレント政治思想集成1 組織的な罪と普遍的な責任』ジョローム・コーン (編), 齋藤純一/山田正行/矢野久美子 (訳), みすず書房, 96-111頁.


Wednesday, July 17, 2013

自主ゼミ #2013-10


前期は終了.

  • 文献:
    • カフカ, フランツ [1914=2007] 「掟の前で」, 丘沢静也 (編訳) 『変身/掟の前で 他2篇』光文社(光文社古典新訳文庫).


    • ベンヤミン, ヴァルター [1934/35=1994] 「フランツ・カフカ」, 『ボードレール 他五篇――ベンヤミンの仕事2』野村修 (編訳), 岩波書店(岩波文庫 赤463-2), 5-58頁.


    • アーレント, ハンナ [1944=2002] 「フランツ・カフカ 再評価――没後二十周年に」『アーレント政治思想集成1 組織的な罪と普遍的な責任』ジョローム・コーン (編), 齋藤純一/山田正行/矢野久美子 (訳), みすず書房.


    • 森川輝一 [2013] 「途方に暮れる――アーレントのカフカをめぐって」 『理想』(690): 16-28.



  • 後期予定: シュミット『大地のノモス』は読まない予定.

Wednesday, July 10, 2013

自主ゼミ #2013-9


  • 文献: 大竹弘二 [2009] 『正戦と内戦』以文社, 6章, 結語.


  • 次回予定: ベンヤミンとアレントのカフカ論.

Sunday, June 30, 2013

御礼: 田中 [2012]ほか


田中ひかる先生から,数々のご高論とご共著『大杉栄と仲間たち』をご恵送頂きました.誠にありがとうございます.

若輩の書評抜き刷り一部にこのようなお心遣いで応えて下さり,恐縮至極です.勉強させて頂きます.


  • 田中ひかる [2012. 10. 30] 「サン・ティミエ国際アナーキスト会合参加記」『文献センター通信』(20): 2-6.
  • 田中ひかる [2013. 2] 「サン・ティミエ国際アナキスト会合参加記」『アナキズム』(16): 77-96.
  • 田中ひかる [2013] 「現代アナーキズム運動の諸潮流――サン・ティミエで出会った、動物解放派/ヴィーガン、アナーキスト・ブラック・クロス」『トスキナア』(17): 8-16.

↑いずれも,2012年8月にスイスのサン・ティミエで開催された国際アナーキスト会合(International Anarchist Gathering at St-Imier')の参加記をお書きになっています.なお『文献センター通信』には,「各国の図書館・文書館等のリスト」(8頁)も寄せられています.


  • Tanaka, Hikaru [2013] "The Reaction of Jewish Anarchists to the High Treason Incident," in Gavin, Masako and Middleton, Ben (eds.) Japan and the High Treason Incident, Routledge, ch. 6 (pp. 80-88).


↑これら三論文は,グローバルなアナーキスト・ネットワークをめぐる一連のご研究の成果の一部かと思われます.個人的には,将来の研究構想を練る上でいつも興味深く拝見しております.


↑大杉栄の「生」の思想と現代アナーキズムとの類似性,大杉における「生」を縁取る「死」,日米におけるアナーキズムとアートの共時的融合,という三つの観点から雑誌『近代思想』を読み解いておられます.

原発事故子ども・被災者支援法について


昨年6月に成立した「原発事故子ども・被災者支援法」について,簡単なメモをしておきます.

この法律は,福島第一原発事故後に避難・帰還・居住継続のいずれを「選択」した人も,住居・教育・医療などの必要な支援を受けられるように処置を講ずる国の責任を定めたもので,超党派の賛成によって成立しました.

しかしながら,成立後一年を経ても,十分な具体的措置が行われていない状況にあります.あまり広く知られていないようですが(私自身も注意を払ってきませんでした),重要な法律ですので,ご関心を持たれた方はぜひ,以下などから情報を入手して下さい.


    • 具体的支援策の実現を求める団体のサイト.「支援法とは」のページから,法律の概要やポイントを知ることができます.Twitterアカウントはこちら

    • 参議院が発行する調査資料.法律が成立した経緯を知ることができます.


Friday, June 28, 2013

政治と理論研究会 第11回


下記の要領で研究会(読書会)を開催致します※終了しました.

参加希望の方は,kihamu[at]gmail.com まで予めご連絡下さい.



  • 要領
    • 日時:7月27日(土)15時開始
    • テーマ:「社会的なもの」をめぐって
    • サブテキスト(併読推奨文献):
      • ロザンヴァロン, ピエール [1995=2006] 『連帯の新たなる哲学――福祉国家再考』北垣徹 (訳), 勁草書房.


      • カステル, ロベール [1995=2012] 『社会問題の変容――賃金労働の年代記』前川真行 (訳), ナカニシヤ出版.


      • ドンズロ, ジャック [2006=2012] 『都市が壊れるとき――郊外の危機に対応できるのはどのような政治か』宇城輝人 (訳), 人文書院.


      • 市野川容孝 [2008] 『社会』岩波書店(思考のフロンティア).


      • 山森亮 [2009] 『ベーシック・インカム入門――無条件給付の基本所得を考える』光文社(光文社新書).


      • 濱口桂一郎 [2009] 『新しい労働社会――雇用システムの再構築へ』岩波書店(岩波新書).


      • 市野川容孝 [2012] 『社会学』岩波書店(ヒューマニティーズ).




※追記(7/11): 教室情報等を掲載しました.

Wednesday, June 26, 2013

自主ゼミ #2013-8


次回は一週挟んで,7月10日14時半から.教室未定.

  • 文献: 大竹弘二 [2009] 『正戦と内戦』以文社, 5章.


  • 次回予定: 同書,6章,結語.

Wednesday, June 19, 2013

自主ゼミ #2013-7


後期の予定を変更して,博論ベースの研究書を3~4冊(鶴見太郎『ロシア・シオニズムの想像力』,白川俊介『ナショナリズムの力』など)+大竹論文(『atプラス』連載)の続きを読む方向で調整.

次回は6月26日14時半から,804教室にて.

  • 文献: 大竹弘二 [2009] 『正戦と内戦』以文社, 4章.


  • 次回予定: 同書,5章.

Wednesday, June 12, 2013

自主ゼミ #2013-6



先週(6/5)は中止になったため,改めて.

次回は6月19日14時半から,804教室にて.

  • 文献: 大竹弘二 [2009] 『正戦と内戦』以文社, 3章.


  • 次回予定: 同書,4章.

Friday, May 31, 2013

政治と理論研究会 第10回


下記の要領で研究会を開催します.※終了しました

参加希望の方は,kihamu[at]gmail.com まで予めご連絡下さい.

なお,本研究会は法政大学大学院政治学専攻委員会と共催です.


  • 要領
    • 日時:7月3日(水)17:00~19:00
    • 会場:法政大学大学院棟 603教室
    • 報告者:源島穣 (筑波大学 博士後期課程)
    • 報告題名:「『第三の道』の敷衍可能性」(仮)
    • 討論者:佐藤圭一 (一橋大学 博士課程)
    • 報告概要(予定):

       イギリス労働党はなぜ「第三の道」路線を採択したのか.その要因はグローバル化の影響を抜きに語ることができない.グローバル化に対応しようとする政治アクターはしかし,各国において歴史的に形成された福祉国家の諸制度によっても規定される.本報告では,こうした複合的文脈に位置するヨーロッパ各国の左派政党を比較する観点から,1990年代以降のイギリス政治に接近する.理論的にはポスト・マルクス主義による社会民主主義批判や,多元的民主主義論などを踏まえ,具体的には分権改革などの事例に目を配りながら,現代における「第三の道」路線のポテンシャルを測定する.

※追記(6/7): 使用教室を掲載しました.

Wednesday, May 29, 2013

自主ゼミ #2013-5



予定を変更して,1-2章の確認.

次回は6月5日14時半から,804教室にて.

  • 文献: 大竹弘二 [2009] 『正戦と内戦』以文社, 1-2章.


  • 次回予定: 同書,3章.

Tuesday, May 28, 2013

掲載・公開告知: 「英語圏におけるシュティルナー研究の現在――ソール・ニューマン編『マックス・シュティルナー』から」





所属する専攻が発行する雑誌に執筆した書評が公開されました.リンク先の専攻HPから読むことができます.対象とした本は,Saul Newman ed. Max Stirner (Palgrave Macmillan, 2011) です.



書評としては長めで,約1万字ほどあります.というのも,実は本の内容を直接扱っているのは半分(か三分の一?)くらいだからです.

前に書いた「エゴイズムの思想的定位」では主に日本語文献を扱ったので,一度英語文献を整理しておこうということで,本書成立に至る研究文脈を私なりに描いてみました(次は独仏やれということになりますが,いつになるやら…).

ご笑覧頂ければ幸いです.

Wednesday, May 22, 2013

自主ゼミ #2013-4



次回は5月29日14時半から,804教室にて.

  • 文献: 大竹弘二 [2009] 『正戦と内戦』以文社, 2章.


  • 次回予定: 同書,3章.

Monday, May 20, 2013

御礼: 清原 [2012]





著者の清原さんから頂戴しておりました.ありがとうございます.

「生活と運動の一体化」を扱ったご論文で,政治学の観点からも興味深く読めるものと思います.

清原さんにはいつもお世話になっておりますので,少しずつでも負債を返していけるよう頑張ります.

Wednesday, May 15, 2013

自主ゼミ #2013-3



次回は5月22日14時半から,804教室にて.

  • 文献: 大竹弘二 [2009] 『正戦と内戦』以文社, 1章.


  • 次回予定: 同書,2章.

Monday, May 13, 2013

掲載・公開告知: 「日本社会の分岐点――政権交代後、震災後の政治をめぐって」



  • 源島穣/西村理/松尾隆佑 [2013. 3] 「日本社会の分岐点――政権交代後、震災後の政治をめぐって」『政治をめぐって』(32): 53-98.


司会を務めた座談会が,院生による専攻誌『政治をめぐって』(法政大学大学院政治学研究科政治学専攻委員会)に掲載されました.専攻委員会のHPから読むことができます.なお,今号は私が編集責任者を務めております.

座談会の内容は政権交代後から2012年11月末までの日本社会の状況を振り返るもので,その時点での「記録」の一種として見て頂ければと思います.その後半年の状況を補完する意味もあり,5月18日に検討会を開催することになりましたので,奮ってご参加下さい.

なお,同号には拙書評も掲載されており,こちらも近日中に公開される予定です.その際には改めて告知致します.


  • 抜粋
 松尾 最近出版された民主党の研究書では、民主党を「資源制約型政党」と捉えています(上神/堤 2011)。自民党一党優位体制下で野党であり続けた以上、政府と結びつくことで利用可能な資源へのアクセスが困難なのは当たり前ですが、無党派層が増えていく状況では、社会から資源を調達することも難しくなってしまったと。つまり人々が政党と恒常的結びつきを持たなくなるわけですから、党費や投票、選挙応援といった形の協力を得にくくなる。さらに、政権を奪ったあとも、利益誘導政治への批判や財政制約などに直面して、国家資源を党派的に利用することはもはやしにくくなっていたと。
 斉藤淳さんの言葉で言えば、「エコヒイキ」(=利益誘導)はもうできないけれども、バラマキは叩かれる(斉藤 2010)。目玉政策だった子ども手当もあまり支持を集めず、譲歩を余儀なくされました。特に財政制約ということが強く意識されるなかで、経済成長でパイを増やすということにはあまり期待できないし、小さくなっていくパイをどう分けるか、また、負担や不利益をどう引き受けてもらうかということが課題になっていかざるをえない。「不利益分配」ということを真剣に考えなければならない(高瀬 2006)、社会全体が資源制約型の社会になってきてしまっているような状況があります。統治の主題そのものがNIMBY(Not in my back yard)問題の解決に近づいてきているとも言えるかもしれません。源島さんが言われたような、財政制約のような客観的状況は政権交代をしても変えられるものではないという認識は、一見当たり前のようですが決定的に重要です。
 湯浅さんは、現在の日本政治に対して当事者意識を持たずに非難を浴びせる人々の姿を、「アイロニカルな政治主義」という言葉で表現しています(湯浅 2012a)。つまり、自分自身が政治の当事者であるという自覚がないまま、政治がだらしないのは政治家や官僚、マスコミが悪いからだと一方的に帰責して、「言いっ放し」で終わってしまいがちになる。「決められない政治」へのフラストレーションを、強いリーダーが快刀乱麻に解決してくれることを望んでしまう。そこでは複雑でシビアな調整と妥協を伴う政治そのものの難しさは認識されず、誰かがバカだったり怠けていたり、逆にずる賢かったりするから、今の政治はダメなんだということになります。そういう人たちは一見政治に対する関心が強いようなんだけれども、実は政治嫌いのシニシズムと親和性が強いのだと、湯浅さんは言います。自分自身を政治のアウトサイダー、要するに「お客さん」だと捉えているわけです。これは未組織・無党派の都市民の層が厚くなっていることの帰結でもあるわけですが、あくまでも政治システムの消費者にとどまろうとするから、その言説は不満と批判がベースで、政権を支えてよりマシにしていこうとするモードになりません。こういう環境のなかで議会政治なり、政権運営なりをしていくというのは、かなりの困難があると思います。
[…]
 松尾 デモと党という話をしてきましたが、これは民主党政権を囲んだ社会の姿とそのまま連続しています。言うまでもなく、「ふつうの人」は、何の特性もない無色透明・不偏中立の人々ではありません。それぞれに特性があり、自分なりに政治的志向性や意見・立場を持つか持とうとしている、一個一個の人間です。新しいデモの「新しさ」を強調するために、未組織であるとか無党派であるなどといった中心的参加者の属性を指して「ふつうの」と形容することは、それ自体がサイレントマジョリティ(「99%」)を背に負おうとする、極めて政治的な物言いです。それにもかかわらず、こうした言説は「ふつうの人」こそが政治的に不偏中立で、正常で、健全であるかのような印象を身にまとうことで、それ以外の人々は偏っていて、異常で、不健全であるかのようなイメージ操作を、隠れたメッセージとして含んでいます。自らの党派性を引き受けずに、「ふつう」であることを恃みにして「特殊」な敵を攻撃しようとする、政治的言説です。
 すなわち、ここでもアイロニカルな政治主義やシニシズム、つまり政治を自らのものとして引き受けることの拒絶という問題が横たわっています。デモは社会を変えられるかという議論は今も盛んですが、デモを社会変革の力にしていくためには、仮にアドホックなものとして位置づけるにせよ、人々に何らかの形で自らの党派性を引き受けさせる必要があるのではないでしょうか。
 新しいデモの非暴力性を強調する五野井さんのようなストーリーでは、日本のデモは60年安保の当初は市民中心の非暴力的な性質を持っていて、図で言えば〈遊び〉の象限にあったんだけれども、樺美智子の死を転機に新聞各社が転向すると運動に暴力的というラベリングが行われて〈災害〉の象限へ転落し、全共闘による暴力イメージの定着を経て〈労働〉象限の退屈なデモへと落ち着いたことになります。その歴史認識からすれば、今のデモは〈労働〉から〈遊び〉なり〈儀式〉なりの象限へ再びデモの価値を上昇させる転機になったという意味づけができる。しかし、これは小熊英二さんの議論についても言えることかもしれませんが(小熊 2012)、日本の社会運動を60年安保や全共闘運動だけで語るとしたら、随分狭いところで議論をしているという印象が拭えません。
 もちろん彼らは反戦平和運動や沖縄の問題、水俣病などについても言及していますし、そこまで単純ではありませんが、全体としては過去が暗い時代として描かれている印象を受ける。そこからは、たとえば女性運動や障碍者運動などがどれほどの達成を果たしてきたのかは見えてきません。これまでの運動がダメで今の運動はいいという安易なストーリーに堕さないためには、過去の社会運動がどのくらい社会を変えてきたのかということを、冷静に見積もる必要があります。言い方を換えると、今の私たちの「ふつうの」暮らしが、いかに過去の党派的な運動の数々によって築かれてきたかという歴史を学ばなければならない。
[…] 
 松尾 党派性、あるいは当事者性と言い換えてもいいのかもしれませんが、そういう性質が「苦役」、つまり強いられた運動にはより明確に現われているのでしょうね。運動の拡がりは出にくいかもしれませんが、その切迫さが何らかの回路で社会一般の状況と結びつけば、人を惹きつける可能性もあります。
 そもそも、運動が必ず拡がりを持たなければならないものかと言えば疑問です。あらゆる運動に社会一般へのアピールを通じた成功を追求させることは、あらゆる地域に創意工夫による経済的自立を求める態度と似ています。社会を変えるためには自分が変わらなければならない、まず自分から動かなければならない、といった自己啓発的主張も同じところに発します(小熊 2012)。しかし、私たちがどこに生活しているかによって関心を違えるような主体であるとすれば、無数の「当事者」が変わらないままで政治的発言権を持ちうるような回路を考えるべきではないでしょうか。
 左派的立場を採る人は、多様な差異を持つ人々が差異を保ったまま「大同団結」して「支配層」に対抗するような成功イメージを描きがちです。私はそうした戦略を「良いポピュリズム」論と呼んでいますが、同じポピュリズムである以上、一時成功したとしても、安定性・持続性は期待できません。戦術レベルでポピュリズムを利用することまでを否定しようとは思いませんが、少なくとも私は、浮動する政治状況を許したままで「上手くやろう」とする技術論よりも、割拠するいくつもの党派のそれぞれに社会への利害伝達回路が確保されるような制度論を考えたい。
[…] 
 松尾 切迫さということで言うと、「ふつう」であることを恃みにする言説とは逆に、当事者性に基づかない運動や政治参加を批判する立場も見られますね。たとえば福島原発周辺の地域社会を研究してきた開沼博さんは、震災後に盛り上がっている脱原発運動を原発立地自治体などの「現場」を知らない人々が自分勝手に騒いでいるだけだと切り捨てていますし(開沼 2012a; 開沼 2012b)、東さんもツイッターなどで、官邸前デモは切実な当事者性を持たない人々がシングル・イシューで集まっていると否定的に評価しています。これらの言説は一種のポピュリズム批判であるわけですが、裏を返せば「よく知らないことには口を出すな」と言っているようにも読める。しかし、それはこれまで「原子力ムラ」を温存してきた専門家にお任せの態度と似通ったものではないでしょうか。
 当事者性を狭く解しすぎることが問題を生む要因の1つなのだと思います。風や雨を通じて拡散する放射性物質による汚染は、原発立地自治体に限らないあちらこちらに「現場」を生むわけですから、当事者がどこにいるのかということは予断できません。中国や韓国の原発が爆発したとき、日本海沿岸の住民が自分には関係のないことだと考えるでしょうか。加えて、そもそも放射能の危険性を知らなければ、たとえ原発のすぐそばに住んでいても自分が当事者だとは思わないかもしれません。それは極端な例ですが、人は自らの当事者性を十分に知っているとは限りませんし、まして他人の当事者性を決めつけることはできません。人が何に切実な利害関心を持っているかということを他人が決めつけるのは、それこそ勝手な口出しではないでしょうか。


*追記: 発言部分の抜粋を掲載しました(5/15).

Thursday, May 9, 2013

御礼: 田村 [2013]


  • 田村哲樹 [2013] 「熟議による「和解」の可能性」, 松尾/臼井 (編) [2013: 4章].
  • 松尾秀哉/臼井陽一郎 (編) [2013. 4] 『紛争と和解の政治学』ナカニシヤ出版.


田村哲樹先生より,一章を執筆されている共著書をご恵送たまわりました.ありがとうございます.

田村先生にはご著作から学ぶことはもちろんのこと,ブログやツイッター上でやりとりをさせて頂いてご教示を得ることがこれまで多々あったのですが,実は未だ直接ご挨拶をさせて頂いたことがありません(ご挨拶できそうなタイミングがなかったわけではないのですが…).それにもかかわらずこのようなお気遣いを頂き,感謝の言葉もありません.

本書は,「紛争と和解というテーマを手引に、政治学的な思考をトレーニングする機会を読者に提供しようとして編んだ入門書」とのことです(「あとがき」より).15章構成の盛り沢山の内容で,私の知る限りあまり類書もないのではないかという気がしますので,非常に有用かと思います.

田村先生ご執筆の章は,社会の「分断」が熟議を通じて「和解」に至る可能性を扱っており,一読する限りでは,私が「理性・情念・利害」で乱暴に片付けた問題をより深めるヒントが埋まっているような気が致します.紹介されている文献も含め、勉強させて頂きます.

Wednesday, May 8, 2013

政治と理論研究会 第9回



下記の要領で研究会を開催致します
※終了しました.

参加希望の方は,kihamu[at]gmail.com まで予めご連絡下さい.

なお,本研究会は法政大学大学院政治学専攻委員会と共催です.

  • 要領
    • 日時:5月8日(水)17時開始
    • 会場:法政大学 大学院棟 201教室
    • 報告者:松尾隆佑 (法政大学 博士後期課程)
    • 報告題名:「マルチレベル・ガバナンスの民主化と公私再定義――ステークホルダー対話を通じたデモクラシーの越境可能性」
    • 討論者:小林昭菜 (法政大学 博士後期課程)
    • 報告要旨:

      •  民主的正統性は常に不全である。第一に、政治的決定に正統性を与えるべき集団(デモス)の範囲自体は民主的に決められたものではありえないという原初的欠損が、第二に、決定が将来にわたって影響を及ぼしうる無際限な範囲(ステークホルダー)のすべてを決定過程に参与させることは望みようがないという遂行上の困難が、デモクラシーの可能性を本来的に枠付けている。そして、現代におけるグローバルな相互依存の深まりは、この可能性の幅をますます狭まつつあるように思える。
         核兵器の脅威や金融危機、原子力発電所事故、地球温暖化、感染症など、国境や世代を超越して広範な波及性を持つ多くの問題を、私たちは知っている。国民主権やシティズンシップといった概念に象徴されるように、民主的決定は必ず何らかの境界線を前提とするデモスに依拠して行われるが、このデモスの構成が当該決定のステークホルダーと乖離すればするほど、民主的正統性は欠損の度を増す。決定の影響が本来予定されている境界線を越えて波及する場合、その民主的正統性はどのように確保されうるか。こうした古典的問いの重要性は失われるどころか、加速度的に高まっている。
         とりわけ1990年代半ば以降のグローバル・ガバナンス論は、主権国家が単独では対処困難な地球的課題の解決のため、地域統合の促進や国際機構の発展に期待を寄せてきた(この点はデイヴィッド・ヘルドの「コスモポリタン・デモクラシー」論も例外ではない)。確かに地域機構・国際機構の成長はグローバルな公共的利益に少なくない貢献を為してきたが、近年のEU加盟諸国における反EU感情の発露に象徴されるように、トランスナショナルなガバナンスが実現すればするほど、民主的正統性の欠如が顕在化することになる(民主主義の赤字)。かつてロバート・ダールが指摘したように、越境的な問題への実効的・効率的な対処が可能な単位・主体と、その民主的正統性との間には、ジレンマが存在する。
         他方、多国籍企業や国際NGOなど、公式の政治過程における正統化手続きを経ずに事実上の権力を行使する非政府主体の民主的統制も、喫緊の課題となっている。このような非政府主体の台頭は、社会のガバナビリティ(統治可能性)を低下させるもの――主権への挑戦――であると同時に、政府と協働して公共的課題の解決を担いうる主体の登場という意味で、ガバナビリティ(統治能力)の補完可能性を拓くものでもある。もっとも官民協働によるガバナンスに対しては、公私の区分を失わせかねないとの批判も寄せられ、理論的回答が俟たれている。
         本報告では、ダールが提起したジレンマを解く手がかりを、「ステークホルダー共同体」に基づく多元主義たる「グローバル・ステークホルダー・デモクラシー」を提唱するテリー・ マクドナルドの議論に求め、批判的検討を施す。また、国連グローバル・コンパクト運動を例に、国家機能の拡大によらずにステークホルダー間の合意形成に基づこうとする討議的アプローチが、民間主体の事業過程そのものを政治化・民主化するとともに、公私の再定義をもたらす可能性を探究する。これらの作業により、デモクラシーを枠付けている境界線を――消し去るのではなく――越える方途を示すことが、本報告の目的である。
※追記(4/26):教室と報告要旨を記載しました.

※追記2(5/8):当日の報告スライドを掲載しました.

Wednesday, April 24, 2013

自主ゼミ #2013-2


事前に予定を変更して,序論のみ扱う.

2週休み,次回は5月15日14時半から.

  • 文献: 大竹弘二 [2009] 『正戦と内戦』以文社, 序論.


  • 次回予定: 同書,1章.

Monday, April 22, 2013

御礼: デロワ [2013]



版元の吉田書店様からご恵送頂きました.ありがとうございます.

原著はYves Déloye, Sociologie historique du politique (La Découverte, 2007)で,1997年初版の3版とのことです.著者による日本語版への序文と,参考文献表に加え,訳者2人それぞれによる詳細な解題(2つあわせて30頁超)が付いています.

「政治(la politique)」ではない「政治的なもの(le politique)」に焦点を当てた歴史社会学/政治社会学(政治的なものの社会史/社会的なものの政治史)ということで,コリン・ヘイ『政治はなぜ嫌われるのか』やジェリー・ストーカー『政治をあきらめない理由』などと是非とも読み比べてみたい著作です.

これらはいずれも訳書ですが,杉田敦『政治的思考』も含め,この時期(ここ半年)に刊行が集中したのは故なきことではないのだろうなと思います.

HPに目次がまだ出ていないようなので,↓に貼っておきます.

  • 監訳者まえがき
  • 日本語版への序文
  • 序論
  • 第1章 歴史学の方法と政治的なものの科学
    • 1 歴史学と社会学の間――政治的なものの問題――
      • (1)フランスにおける政治史:創設期の学問領域
      • (2)歴史的偶然性から社会学的規則性
    • 2 新しい知的局面
      • (1)歴史学の政治への転換
      • (2)現代政治学の歴史への転換
    • 3 政治的なものの歴史社会学の諸原理
      • (1)政治的なものの長期的な歴史
      • (2)認識論的争点
      • (3)政治的なものの歴史社会学の対象
  • 第2章 近代国家の生成過程
    • 1 権力の家産化と脱家産化
      • (1)近代国家の起源:封建制
      • (2)「西洋の力学」
    • 2 中央集権化と権力の凝集
      • (1)「国家の論理」
      • (2)近代国家の文法
    • 3 国家化と近代的人間の誕生
      • (1)国家の内奥
      • (2)近代国家の人類学的読解のために
  • 第3章 ナショナルな市民権とナショナル・アイデンティティ
    • 1 国民とは何か
      • (1)国民の構築
      • (2)ナショナルな想像物
    • 2 市民権と世俗化:紛争と軌道
      • (1)市民権の出現
      • (2)アメリカの状況:市民権と市民宗教
      • (3)フランスの状況:市民権とライシテ
    • 3 市民権と国民の同化
      • (1)市民権と国民国家への忠義
      • (2)同国人と外国人
  • 第4章 選挙の文明化の歴史社会学
    • 1 政治化の道筋
      • (1)歴史学論争
      • (2)政治化という「砕けた鏡」
    • 2 民主的でかつ分化され,専門化された競争に向けて
      • (1)選挙の競争形態
      • (2)選出させること
    • 3 選挙の習俗
      • (1)選挙の儀礼
      • (2)投票,暴力の排除
      • (3)市民的な賢明さ
  • 結論 過去による迂回
  • 訳者解題1 フランスにおける非宗教的国家と国民の象徴体系(稲永祐介)
  • 訳者解題2 政治的空間の揺れ動く境界(小山晶子)
  • 参考文献
  • 事項索引
  • 人名索引

Wednesday, April 17, 2013

自主ゼミ #2013-1


今年度初回.顔合わせと今後の打ち合わせ.

次回以降は14時半から行う予定.

  • 文献: 大竹弘二 [2012] 「公開性の根源」1-2回, 『atプラス』11-12号.



  • 次回予定: 大竹弘二『正戦と内戦』序論,1章.

Monday, April 8, 2013

自主ゼミ #2013-0


2013年度の自主ゼミでは,大竹弘二『正戦と内戦』およびカール・シュミット『大地のノモス』を中心に読んでいきます.

対象文献と各回の振り分け(予定)は以下の通り.時間は毎週水曜15時から.会場は法政大学大学院棟です.

初回は4月17日(水)となります.参加をご希望の方はkihamu[at]gmail.comまでご連絡下さい.部分的な参加でも歓迎しております.


  • 文献
    • 大竹弘二 [2012-] 「公開性の根源」『atプラス』(11)‐, 連載中.
    • 大竹弘二 [2009] 『正戦と内戦――カール・シュミットの国際秩序思想』以文社.
    • カール・シュミット [2007] 『大地のノモス――ヨーロッパ公法という国際法における』新田邦夫 (訳), 慈学社出版.

  • 前期
    • #1: 大竹「公開性の根源」1-2回(参加者の関心すり合わせ)
    • #2: 大竹『正戦と内戦』序論+第1章
    • #3: 大竹『正戦と内戦』第2章
    • #4: 大竹『正戦と内戦』第3章
    • #5: 大竹『正戦と内戦』第4章
    • #6: 大竹『正戦と内戦』第5章
    • #7: 大竹『正戦と内戦』第6章+結語
    • #8: 大竹「公開性の根源」3-4回
    • #9: 大竹「公開性の根源」5-6回
    • #10: 前川「洪水のあと」

  • 後期
    • #11: シュミット『大地のノモス』はじめに+第1部第1-2章
    • #12: シュミット『大地のノモス』第1部第3-4章
    • #13: シュミット『大地のノモス』第1部第5章+第2部第1章
    • #14: シュミット『大地のノモス』第2部第2-3章
    • #15: シュミット『大地のノモス』第3部第1-2章
    • #16: シュミット『大地のノモス』第3部第3-4章
    • #17: シュミット『大地のノモス』第3部第5章+第4部第1章
    • #18: シュミット『大地のノモス』第4部第2-3章
    • #19: シュミット『大地のノモス』第4部第4-5章
    • #20: シュミット『大地のノモス』第4部第6-7章


Friday, April 5, 2013

御礼: 平石 [2013]




著者の平石先生からご恵送たまわりました.ありがとうございます.

私ぐらいの世代以下にとってウォーラスは,名前は聞いたことがあるけれどもまともに勉強したことはない,といった淡い存在かもしれません.

「巨大社会」論を唱えた「現代政治学の祖」,といった一般的イメージに留まらないウォーラスの壮大な思考の全体像を明らかにする本書は,世紀転換期欧米の思想世界を知る上で,画期的重要性を持つ思想史研究かと思います.

平石先生には二度ほどお目にかかった程度ですが,自分の指導教員の初期論文も含めて,しっかり勉強しなさいという意味でご高配下さったのだと思います.じっくり拝読させて頂きます.

仲介の労を取って下さったT君にも感謝申し上げます.

(※Amazonに書影がアップされていないため,後日追記します.)追記しました(4/9)

Share